「北鎌フランス語講座 - 文法編」と連動し、短い例文を使って徹底的に文法を説明し、構文把握力・読解力の向上を目指します。

ラ・マルセイエーズ

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このページでは、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の歌詞和訳と文法的な解説を試みてみます。対訳はよく見かけますが、必ずしも忠実には訳されていないからです。
歌詞は7番までありますが、よく歌われるのは1番、6番、7番なので、とりあえずこの3つを覚えていればよいと思います。

Premier couplet

Allons enfants de la Patrie,
Le jour de gloire est arrivé !

Contre nous de la tyrannie
L'étendard sanglant est levé,

L'étendard sanglant est levé,
Entendez-vous dans les campagnes
Mugir ces féroces soldats ?

Ils viennent jusque dans nos bras
Égorger nos fils, nos compagnes !


  Refrain :

Aux armes, citoyens,
Formez vos bataillons,
Marchons, marchons !

Qu'un sang impur
Abreuve nos sillons !


Couplet 6

Amour sacré de la Patrie,
Conduis, soutiens nos bras vengeurs

Liberté, Liberté chérie,
Combats avec tes défenseurs !

Combats avec tes défenseurs !
Sous nos drapeaux que la victoire
Accoure à tes mâles accents,

Que tes ennemis expirants
Voient ton triomphe et notre gloire !


  Refrain

Couplet 7 (couplet des enfants)

Nous entrerons dans la carrière
Quand nos aînés n'y seront plus,

Nous y trouverons leur poussière
Et la trace de leurs vertus

Et la trace de leurs vertus
Bien moins jaloux de leur survivre
Que de partager leur cercueil,

Nous aurons le sublime orgueil
De les venger ou de les suivre


  Refrain

1 番

さあ、祖国の子供たちよ、
栄光の日がやってきた!
我々に対して、専制の
血ぬられた旗が掲げられた。
血ぬられた旗が掲げられた。
聞こえるか、野原で、
あの凶暴な兵士たちが咆哮するのが?
やつらは我々の腕の中にまでやってくる、
我々の息子や妻の喉を掻き切りに!

  (繰り返し)

武器をとれ、同志たちよ、
隊列を組め、
進もう、進もう!
けがらわしい血が
我々の畑の畝を濡らさんことを!

6 番

祖国への聖なる愛よ、
我々の復讐の腕を導き、支えておくれ。
自由よ、いとしい自由の女神よ、
そなたを守る人々とともに戦いたまえ!
そなたを守る人々とともに戦いたまえ!
我々の旗のもとに、勝利の女神が 駆けつ
けんことを。そなたの雄々しい声に応えて。
そなたの瀕死の敵が そなたの勝利と
我々の栄光を目のあたりにせんことを!

  (繰り返し)

7 番(子供たちの詩)

僕たちが活躍の舞台に立つことになるのだ、
そこに先輩たちがいなくなるときには。
僕たちはそこに彼らのなきがらと
彼らの武勇のあとを見出すことだろう。
彼らの武勇のあとを見出すことだろう。
彼らより長生きすることよりも、むしろ
同じひつぎに入ることをはるかに願って、
崇高な誇りを僕たちは抱くつもりだ、
かたきを討つか、またはあとを追うという。

  (繰り返し)

日本語訳は、なるべく照らし合わせて元のフランス語の意味がわかるような訳にしました。そのため、わざと逐語訳に近づけてあります。



Premier couplet

couplet は、同じ語句が繰り返される refrain(ルフラン、リフレイン)の部分との対比で、歌詞が変化していく部分のことを指しますが、要するに歌詞の「~番」の意味。

Allons enfants de la Patrie, / Le jour de gloire est arrivé !

「Allons」は自動詞 aller(行く)の現在1人称単数と同じですが、ここは主語がないので aller の命令形。「行こう」というのがもとの意味ですが、間投詞的に「さあ!」くらいの意味で(一歩を踏み出せないでいる相手を励ます場合などに)使われます。対訳などで「行こう」と訳しているものもありますが、「さあ!」「いざ!」くらいの意味にとるのが妥当だと思います。

「enfants」は男性名詞「子供」の複数形。
相手に呼びかける場合は無冠詞になります(この規則は以下の歌詞でたくさん出てきます)。

「Patrie」は女性名詞で「祖国」。大文字になっているのは、あまり意味がないともいえますが、たとえば révolution は小文字だと一般に「革命」という意味だけれども大文字で Révolution とすると「フランス革命」を意味するのと同様に、普通名詞を大文字にすると特定の固有名詞と同じ意味になる(Cf. 朝倉 p.297)からだ、ともいえます。とすると、ここは「フランスという祖国」という意味であり、要するに「フランス」と言いかえられることになります。

「est arrivé」は助動詞 être の現在3人称単数の est と自動詞 arriver(到着する、やってくる)の過去分詞 arrivé に分かれ、être + p.p. になっていますが、arriver が場所の移動・状態の変化を表す自動詞なので、複合過去

ここまでを逐語訳すると、「さあ、祖国の子供たちよ、栄光の日がやってきた!」。

Contre nous de la tyrannie / L'étendard sanglant est levé

「Contre」は前置詞で「~に対して、~に反対して」。さらにいえば「~に敵対して」。

「tyrannie」は女性名詞で「専制、圧制、暴政」。
「de la tyrannie」(専制の)がどこにかかる(つながる)のかが少し難しいところです(下記)。

「étendard」は男性名詞で「(特に軍隊の)旗」。
「sanglant」は形容詞で「血だらけの、血ぬられた、血の染みついた」。男性名詞 sang(血)からきています。

「est levé」は助動詞 être の現在3人称単数の est と他動詞 lever(上げる、掲げる)の過去分詞 levé に分かれ、être + p.p. で受動態。「上げられる、掲げられる」となります。
ただ、ここは levé は形容詞化しているともいえます。辞書を引くと「levé」で「上がった」と出ています。ここは「旗」なので「掲げられた」と訳すことができます。

さて、この部分は通常の語順になっていません。通常の語順にすると次のようになります。

  • Contre nous l'étendard sanglant de la tyrannie est levé.
    我々に対して、専制の血ぬられた旗が掲げられている。

これは、韻を踏ませるために語順を入れ替えた結果であり、こうしたことは詩ではよく行われます。
ここでは各行末尾の Patrie と tyrannie、arrivé と levé がそれぞれ韻を踏んでいます。

内容的にみると、「専制の血ぬられた旗」というのは、-この歌が絶対王政に対して立ち上がった民衆を歌った歌だと解釈するなら-、民衆に対してて暴虐のかぎりをつくしてきた専制君主の旗、という意味に取れそうです。

ただし、この歌がもともと「ライン軍のための軍歌」であったという歴史的な成り立ちを踏まえるなら、「専制の血ぬられた旗」とはフランスに攻めてくるドイツ(オーストリア)諸国の専制君主の旗を指すことになります(参考:「ラ・マルセイエーズの歴史」のページ)。

Entendez-vous dans les campagnes / Mugir ces féroces soldats ?

「Entendez」は entendre(聞く)の2人称複数。rendre と同じ活用をする不規則動詞です。
倒置になってハイフンを入れ、疑問文になっています。

「campagne」は女性名詞で「田舎、畑、野原、平原」などの意味もありますが、「野戦場、戦場」という意味もあります(これは少し古風な意味なので、載っていない辞書もあります)。どちらとも取れる気がします。
「田舎、畑、野原、平原」の意味の場合、都会や人の多く集まって住んでいるところから離れた、畑の広がっている場所というイメージです。また、山や森ではなく、一面に畑が広がっていて見渡せる開けた場所というイメージもあります。
実は「ラ・マルセイエーズ」はバージョンの違いによって若干字句が異なる場合があり、ここを nos campagnes と歌うこともあります。この場合、「我々の戦場」ではなく「我々の野原(または畑)」の方がぴったりくるので、このことも加味して「野原」としました。

「Mugir」は「(牛が)鳴く」「(風・海が)うなる、とどろく」などの意味もありますが、比喩的に「(人が)わめく、咆哮(ほうこう)する」という意味でも使われます(怒り、恐怖、苦痛などで叫び声を上げる場合)。

このように、フランス人なら誰でも知っている国歌のわりには、ところどころに少し古い言葉が使われています(日本の君が代もそうですが)。

「féroce」は形容詞で「野獣のような、獰猛(どうもう)な、凶暴な、残忍な」。
「soldat」は男性名詞で「兵士」。

「Mugir」は不定形になっています。これは、entendre(聞く)が「知覚動詞」として使われており、「A が B するのを聞く」という場合、B にくる動詞は不定形にするのが決まりだからです。

ここまでを逐語訳すると、「野原で、あれらの凶暴な兵士たちが咆哮するのが聞こえるか?」

Ils viennent jusque dans nos bras / Égorger nos fils, nos compagnes !

「Ils」は「ces féroces soldats」(あれらの凶暴な兵士たち)を指します。
「viennent」は venir(来る)の3人称複数。

「jusque」は前置詞で「~まで」。他の前置詞 à(~に)と組み合わせて jusqu'à で「~にまで」という形で使うことが大半ですが、このように à 以外の前置詞と組み合わせることもあります。「jusque dans」で「~の中にまで」。
「nos」は「我々の」。
「bras」は男性名詞で「腕」。

「Égorger」は他動詞で「喉(のど)を掻き切る」。gorge(喉)からきた言葉です。
この動詞は不定詞になっていますが、これは venir(来る)とセットになっており、「venir + 不定詞」で「~しに来る」

「fils」は男性名詞で「息子」。
「compagne」は女性名詞で「(女の)仲間」という意味ですが、ここでは文章語で「妻、(男にとっての)伴侶」。

本来なら nos fils et nos compagnes というように et を入れたほうが自然ですが、このあたり各行は基本的に 8 音節で書かれているので、et を入れると音節が 1 つ多くなってしまい、メロディーに対して歌詞が多すぎてしまう(つまり「字余り」になってしまう)ので et が省かれていると考えられます。
(下記「詩の音節(音綴)の数え方についての基本的な規則」を参照)。

  • ちなみに、少し早口で et を入れて歌っているのは、下記のリストでは PCCB、映画の Georges Mendel、『大いなる幻影』、『カサブランカ』、ド・ゴールなど。

campagnes と compagnes、soldats と bras が韻を踏んでいます。

逐語訳すると、「彼ら(あれらの凶暴な兵士たち)は我々の腕の中にまで、我々の息子、我々の妻の喉を掻き切りにやってくる(やってきている)!」。

「腕の中にまで」というのは比喩的な表現で、「ふだんは一家の主人が腕で囲って外敵から守っている家のなかにまで踏み込んできて」という感じだと思います。

以上は、おもに敵の動きについての状況説明であり、こうした状況を踏まえて次の「ルフラン」で味方に行動を呼びかけます。



Refrain

Refrain はフランス語読みで「ルフラン」、英語読みで「リフレイン」(歌で繰り返し歌う部分)。

Aux armes, citoyens, / Formez vos bataillons, / Marchons, marchons !

「Aux」は前置詞 à と定冠詞 les の縮約形

「arme」は女性名詞で「武器」。
「Aux armes ! 」で熟語で「武器を取れ!」。

「citoyen」は男性名詞で「市民」。フランス革命のときは「同志」くらいの意味で民衆が互いに呼びかけるときにさかんに用いられた言葉です。
ここも、呼びかけて使っているので無冠詞になっています。
訳は「市民」と「同志」のどちらを使ってもよいと思います。

「Formez」は他動詞 former(形作る)の命令形(vous に対する命令)。

「bataillon」はふつうは軍隊の単位で「大隊」。régiment(連隊)よりも小さく、compagnie(中隊)よりも大きな単位で、だいたい千人前後です。
しかし、ここでは「部隊、隊列」ぐらいの意味で使っています。

「Marchons」は自動詞 marcher(歩く、進む)の nous に対する命令
英語で言えば Let's march ! で、「歩きましょう!」「歩こう!」または「進みましょう!」「進もう!」。

ここまでを逐語訳すると、「武器をとれ、同志たちよ、おまえたちの隊列を組め、進もう、進もう!」。

なお、Marchons, marchons !(進もう、進もう!)の代わりに Marchez, marchez !(進め、進め!)と言うこともあります。もともと、この歌を作詞・作曲したルージェ・ド・リール Rouget de Lisle は直筆原稿に Marchez と書いており(下記画像を参照)、現在でも特にベルリオーズ編曲のオペラでは Marchez と歌われます。

Qu'un sang impur / Abreuve nos sillons !

まず動詞から見ると、「Abreuve」は他動詞 abreuver の直説法現在3人称単数... と同じ形ですが、ここでは接続法現在3人称単数。
なぜかというと、ここは「Que + 接続法」の独立節で「……されんことを」という意味だと取るべきだからです。

abreuver は「〔家畜に〕水を飲ませる」、「〔水や液体で〕濡らす」。

「sang」は男性名詞で「血」。
「impur」は形容詞で「不純な、汚れた、けがらわしい」。
sang(血)は液体なので、数えられないから部分冠詞がつくと思われるかもしれませんが、一般に、形容詞がつくと不定冠詞がつきやすくなるという規則・傾向があるので、ここも不定冠詞がついています。
「sillon」は男性名詞で「(畑の)畝(うね)」。

ここまでを逐語訳すると、「けがらわしい血が我々の畝々を濡らしますように!」または「けがらわしい血が我々の畝々を濡らさんことを!」。

要するに「我々の畑において敵が殺されますように!」という意味です。
国歌にしてはなかなか物騒で、血なまぐさく、フランス革命中に作られた「軍歌」という性格が強く出ています。

なお、nos sillons(我々の畝々、我々の畑)の nos(我々の)という言葉には、あくまで敵が「我々の」地に侵略にきているのだ(つまり我々が敵の地に侵略しに行っているのではない)というニュアンスが感じられます。



ラ・マルセイエーズ

作詞・作曲者ルージェ・ド・リールの直筆原稿の 1 番の部分
(フランス国立図書館蔵 Gallica

Marchons ではなく Marchez と書かれているのが確認できます(最終行冒頭)。

  • なお、この原稿では L'étendard sanglant est levé と Marchez は 1 回しか書かれていません。





Couplet 6

たぶん1番についでよく歌われるのが、この 6 番です。
実質的にこれが 2 番といってよいのではないでしょうか。
特に Liberté(自由、自由の女神)や gloire(栄光)、victoire(勝利)といった言葉の響きが好まれるようです。

Amour sacré de la Patrie, / Conduis, soutiens nos bras vengeurs

「Amour」は男性名詞で「愛」。この「Amour」に呼びかけているので無冠詞になっています。
「sacré」は形容詞で「聖なる」。
「Amour sacré de la Patrie」で「祖国への聖なる愛」。

ここでは、この「愛」を擬人化した上で、擬人化された「愛」に呼びかけています。
このように「抽象名詞を擬人化して呼びかける」というのは、詩ではよく行われることで、このラ・マルセイエーズでも何度か出てきます。
(修辞学ではこれを「頓呼法(アポストロフ)」と呼びます)
擬人化されていることをわかりやすくするために「愛の神」と訳すことも可能ですが、「祖国への聖なる」という言葉がついていて少々訳しづらいので、単に「愛」としておきます。

「Conduis」は conduire(導く)の現在2人称単数と同じですが、ここでは命令形。
「Amour sacré de la Patrie」(祖国への聖なる愛)に対して「導け」と命令しているわけです。この場合は「導いてくれ」とお願いしている感じです。

「soutiens」は soutenir(支える)の現在2人称単数と同じですが、これも命令形。venir と同じ活用をする不規則動詞です。

conduire(導く)も soutenir(支える)も他動詞で、共通する目的語が「nos bras vengeurs」。

「bras」は男性名詞で「腕」。腕力や「武力」というイメージがあります。
「vengeur」は形容詞で「復讐の、復讐する、報復を加えるための」。

ここまでを逐語訳すると、「祖国への聖なる愛よ、我々の復讐の腕を導き、支えておくれ」。

つまり、我々は「祖国への聖なる愛」に導かれて、また「祖国への聖なる愛」を支えとして、敵に仕返しをするために武力を行使するのだ、という認識が基礎にあります。

Liberté, Liberté chérie, / Combats avec tes défenseurs !

「Liberté」は女性名詞で「自由」。ここも「Liberté」に呼びかけているので無冠詞になっています。

「chéri」は形容詞で「いとしい」。

さきほどと同様、抽象名詞である「自由」を擬人化して、この「自由」に対して呼びかけています。
「自由よ、いとしい自由よ」という感じです。
擬人化されていることをわかりやすくするために、「自由の女神よ、いとしい自由の女神よ」と訳すこともできます。

「Combats」は combattre(戦う)(不規則動詞)の現在2人称単数と同じ形ですが、ここも命令形。
「戦え」または「戦っておくれ」「戦いたまえ」という感じです。

「tes」は「おまえの」ですが、「おまえ」とは「自由(の女神)」を指すので、「そなたの」「汝(なんじ)の」などと訳すこともできます。

「défenseur」は男性名詞で「擁護者、守る人」。

ここまでを逐語訳すると、「自由(の女神)よ、いとしい自由(の女神)よ、そなたの擁護者(=そなたを守る人々)とともに戦いたまえ」。

「そなたの擁護者(=そなたを守る人々)」というのは、要するに「我々」のことなので、「我々とともに戦っておくれ」と言っているわけです。

Sous nos drapeaux que la victoire / Accoure à tes mâles accents,

「drapeau」は男性名詞で「旗」。
「Sous nos drapeaux」で「我々の旗のもとに」。

次の「que」が少しわかりにくいので、後回しにします。
「victoire」は女性名詞で「勝利」。

「Accoure」は自動詞 accourir(駆けつける)の活用した形。これは不規則動詞で、接頭語 ac- を抜かすと courir と同じ活用をします。
直説法現在3人称単数なら court となるはずですが、そうなっていません。辞書で courir を引いて活用を調べると、「coure」は courir の接続法現在3人称単数であることがわかります。つまり、「Accoure」は accourir の接続法現在3人称単数です。

とすると、さきほどの que と合わせて、「Que + 接続法」の独立節で「……されんことを」という意味であることがわかります。

通常は、この「Que + 接続法」は文頭にくるはずであり、前に「Sous nos drapeaux」がついているので、わかりにくくなっています。

しかし、これも韻を踏むために語順を入れ替えた結果だと理解することができます。つまり、通常の語順であれば、

  • Que la victoire accoure à tes mâles accents sous nos drapeaux.

となるべきところです。これを、victoire と gloire、accents と expirants でそれぞれ脚韻を踏ませるために、語順を入れ替えたわけです。

「mâle」はここでは形容詞で「雄々しい」。
「accent」はふつうは「アクセント」ですが、ここは文章語で複数形で「声、言葉」などの意味。小さな辞書では載っていません。

その前の「à」は前置詞「~に」ですが、日本語の「に」と同様に色々な意味があり、一概には決められません。方向性を表す「~の方に」とも取れますが、「~に対して、~に従って、~に呼応して、~に応えて」とも取れます(個人的には後者の感じを受けます)。

以上を逐語訳すると、「我々の旗のもとに、そなたの雄々しい声の方へと(そなたの雄々しい声に応えて)勝利が駆けつけんことを」。

「そなた」というのは「自由(の女神)」を指しますが、ここでは「勝利」も擬人化されており、「victoire」は「勝利の女神」と訳すこともできます。

  • Liberté(自由の女神)と同様、大文字で Victoire となっていれば、これが「勝利の女神」であることがもっとわかりやすいのですが……

「自由の女神」が「雄々しい声」をあげながら戦っているところへ、それに応えてさらに「勝利の女神」もやってきてほしい、と言っているわけです。

古来、勝利の女神には翼が生えているとされてきたので、すぐに「駆けつける」ことができるはずです。

「勝利の女神が駆けつける」ということは、もちろん「勝利する」ことを意味します。

  ⇒ パリの凱旋門に彫られた自由と勝利の女神の写真

Que tes ennemis expirants / Voient ton triomphe et notre gloire !

ここも「Que + 接続法」(「……されんことを」)が使われています。

「tes」と「ton」(おまえの、そなたの)は今までと同様に「自由(の女神)」を指していると取ります。

「ennemi」は「敵」。
「expirant」は形容詞で「瀕死の」。

「Voient」は voir(見る)の接続法現在3人称複数。
「triomphe」は男性名詞で「勝利」。
「gloire」は女性名詞で「栄光」。

逐語訳すると、「そなたの瀕死の敵が、そなたの勝利と我々の栄光を見んことを!」。

つまり、敵(=文字上は自由(の女神)の敵、内容的には我々の敵)は、死ぬまぎわに自由(の女神)が勝利して我々が栄光を勝ちとるさまを見届けてから死ぬべし、と言っているわけです。

以上、この 6 番の文はすべて命令形か「Que + 接続法」のどちらかで書かれています。「Que + 接続法」も、いわば「三人称に対する命令」なので、この 6 番はすべて広い意味での「命令」の形で書かれているともいえます。



ラ・マルセイエーズ

作詞・作曲者ルージェ・ド・リールの直筆原稿の 6 番の部分
(フランス国立図書館蔵 Gallica



なお、7 番の作詞・作曲者はルージェ・ド・リールではなく、他の人(諸説あり)がつけ足したもの。





Couplet 7

この7番は「子供たちの詩」とも呼ばれ、子供の視点から見た歌詞となっています。そのため、「Nous」は「我々」ではなく「僕たち」としておきます。
時制はすべて単純未来が使われています。

Nous entrerons dans la carrière / Quand nos aînés n'y seront plus,

「entrerons」は entrer(入る)の単純未来1人称複数。
「carrière」はふつうは「キャリア、職業」ですが、文章語で「人生の道、活動の舞台」という意味もあります。

  • carrière は古くは「(馬などの)競技場」「訓練馬場」という意味で、その比喩として上のような意味が生まれています。ここも、もとの意味のイメージを引きずっており、あとで出てくる poussière(ほこり、粉塵)や trace (跡)といわば「縁語」(つまり同系統の比喩)の関係にあると思いますが、訳には反映しにくいところです。

ここでは、『ロワイヤル仏和中辞典』に熟語表現として載っている

  • entrer dans la carrière
    (人生の)活動の舞台に入る

を参考に、「活躍の舞台に立つ」と訳してみます。

「活躍の舞台に立つ」とは、ここでは「(一人前の)兵隊となって活躍する」という意味だと解釈できます。
あるいは、「活躍の舞台」とは「戦場」のことだと言えるかもしれません。

とすると、この行は「僕たちは(将来的に)活躍の舞台に立つことになるのだ」となります。

単純未来で書かれているので、まだ現時点では「僕たち」は活躍の舞台に立っていない(まだ兵隊とはなっていない)若者だということがわかります。

「aîné」は「兄、年長者、先輩」。文章語で「祖先、先人」という意味もありますが、ここでは「先輩」としました。「兄貴たち」とも訳せそうです。
自分たちよりも上の年代で、先に兵役についた「年長兵」を指すのだと思います。

「y」は「à + 場所」に代わり、副詞的に「そこに」という意味。
「la carrière」(活躍の舞台)を指します。

「seront」は être の単純未来1人称複数。

ここまでを逐語訳すると、「僕たちの先輩たちがそこにいなくなるときには、僕たちが活躍の舞台に立つことになるのだ」。

つまり、「先輩たちが活躍の舞台を退いたら、今度は僕たちが活躍する番がくるのだ」と言っていると理解できます。

Nous y trouverons leur poussière / Et la trace de leurs vertus

「trouverons」は trouver(見つける、見出す)の単純未来1人称複数。
「leur」(彼らの)の「彼ら」はもちろん「先輩たち」を指します。
「poussière」は女性名詞で、ふつうは「ちり、ほこり、粉塵」などの意味ですが、文章語で「遺骸(いがい)、なきがら」という意味もあり、こちらの意味に取ります。
「trace」は女性名詞で「跡、痕跡」。
「vertu」は女性名詞でふつうは「徳、美徳」ですが、古い意味で「勇気、精神力、武勇」という意味もあり、正確にはこちらの意味で取ります。

逐語訳すると、「僕たちはそこに彼らのなきがらと彼らの武勇の跡とを見出すことだろう」。

なお、伝統的な詩と同様、すべての行が大文字で始まっており、さらに文末にピリオドがないため、この7番の歌詞の1~4行目はどこで文が完結するのかわかりにくくなっています。

2行目を3~4行目にくっつけた場合、2行目~4行目は「僕たちの先輩たちが(そこに)いなくなるときには、僕たちはそこに彼らのなきがらと彼らの武勇の跡を見出すことだろう」となり、このように解釈することも可能な気もします。

しかし、上のように1行目と2行目をセットにしたほうが意味的に説得力が出るので、1行目と2行目、3行目と4行目でまとめて意味を取りました。

Bien moins jaloux de leur survivre / Que de partager leur cercueil,

「moins ... que ~」というのは「劣等比較」の表現ですが、ここでは moins A que B で「A というよりもむしろ B」。A と B に同じ品詞を使うのがポイントです。
たとえば『ロワイヤル仏和中辞典』で moins を引くと、例文(四角の A の丸 2 の最後)に

  • Il est moins généreux qu'indifférent.
    彼は寛大というより無頓着なのだ。

という例文が載っており、これと同じ使い方です。

「Bien」は副詞で、ここでは「大いに、はるかに」。moins を強めています(比較級を強調する場合に使います)。

「jaloux」は形容詞で「(人に)嫉妬した」または「(物に)執着した」。どちらも「手放したくない」という感情で共通しています。
これは前置詞 de と一緒に使うことが多い形容詞で、辞書をよく見ると「jaloux de~」で「~に執着した」「~しようと汲々(きゅうきゅう)としている」といった例文が載っています。要するに「(必死に)~しようとしている」という意味になります。

「survivre」は「長生きする」ですが、前置詞 à と一緒に使って survivre à ~ で「~よりも長生きする」という使い方をします(いわゆる「間接他動詞」)。
ここには à はありませんが、実は leur に吸収されてしまったと考えることができます。
これは、「前置詞 à + 人」は、代名詞に置き換わると間接目的一語になり、 à は消えるという規則によるものです。
代名詞 leur を使わないで「jaloux de leur survivre」を書き換えると

  • jaloux de survivre à nos aînés
    僕たちの先輩たちよりも長生きする

となり、à が出てきます。

「partager」は他動詞で「共有する」。
その前の「de」は「survivre」の前の「de」と同様、「jaloux de」というつながりです(並列)。

「cercueil」は男性名詞で「棺おけ、ひつぎ」。

ここまでを逐語訳すると、「彼ら(僕たちの先輩たち)より長生きすることよりも、むしろ彼ら(僕たちの先輩たち)のひつぎを共有することをはるかに願って」。

「ひつぎを共有する」というのは、「同じひつぎに入る」ということで、内容的には、祖国を守るために死んだ先輩たちにならう、といった意味です。

この 2 行は、これだけでは完結してはおらず、次の行の「Nous」につながっています。
これを文法用語で「主語と同格」といいます。

つまり、「……を共有することをはるかに願っている僕たちは」という感じで次につながります。

Nous aurons le sublime orgueil / De les venger ou de les suivre

「aurons」は avoir の単純未来1人称複数。
「sublime」は形容詞で「崇高な」。
「orgueil」は男性名詞で、悪い意味で「傲慢さ、思いあがり」または良い意味で「自尊心、誇り」。
「les」はどちらも「nos aînés」(僕たちの先輩たち)を指します。
「venger」は他動詞で「~の復讐をする、~のかたきを討つ、~の無念を晴らす」。

「suivre」は他動詞で「~のあとを追う」。たとえば、

  • suivre qn au tombeau
    墓の中に〔人〕のあとを追う→〔人〕のあとを追って死ぬ

という熟語がありますが、これと同様、ここでは先輩たちのあとを追って戦死するという意味です。

ここまでを逐語訳すると、「僕たちは彼ら(僕たちの先輩たち)のかたきを討つか、または彼ら(僕たちの先輩たち)のあとを追うという、崇高な誇りを抱くつもりだ」。

つまり、戦場で敵に殺された先輩たちのかたきを討つ(=敵に勝利する)か死ぬかどちらかであり、退却や降参はありえない、と言っているわけです。



以上、1番、6番、7番を取り上げましたが、2番~5番の文法的に正確な日本語訳を知りたい方は、個人的にこれまでに目にした中では吉田進『ラ・マルセイエーズ物語』(中公新書)の巻末の訳が最もお勧めできます。





ラ・マルセイエーズを聴けるサイト

YouTube でいろいろ聴くことができます。

オペラ以外

映画

  • https://www.youtube.com/watch?v=B0AROx0lKoo
    1907年のGeorges Mendel監督のトーキー『ラ・マルセイエーズ』。歌:バリトン歌手 Jean-Baptiste Noté
    1番と6番。

  • https://www.youtube.com/watch?v=QbHFiaBw0jk
    1937年のジャン・ルノワール『大いなる幻影』。第一次世界大戦中、ドイツにとらわれているフランス兵捕虜が、フランス軍がドイツ軍からドゥオーモン要塞を奪還した知らせを受け、捕虜収容所での仮装パーティーを中断して歌い出す場面。国歌斉唱が始まると全員かぶりものを取って敬意を表しています。
    1番のみ。

  • https://www.youtube.com/watch?v=LmP6C1n7a7g
    1938年の『ラ・マルセイエーズ』(こちらもジャン・ルノワール監督)の中の一場面
    (1番と)6番。

  • https://www.youtube.com/watch?v=cOeFhSzoTuc
    1942年の『カサブランカ』。第二次世界大戦中、実質的なドイツ軍の支配下に置かれていたフランス領モロッコのカサブランカで、ドイツの軍歌「ラインの守り」を歌うドイツ軍の将校たちに対抗してラ・マルセイエーズが歌われる場面。中央で指揮を取りながら歌う俳優の発音は、英語なまりが鼻につきます。歌が始まってから途中でアップで映される女性の表情は、歌詞に出てくる「我々の腕の中にまでやって」きている「凶暴な兵士たち」がほかならぬ眼前にいるドイツ軍の者たちであることをはっきりと物語っています。
    1番のみ。(1分すぎあたりから。この他、全編にラ・マルセイエーズに基づくサウンドトラックを使用)

  • https://www.youtube.com/watch?v=EIzzugI7Tdo
    2007年の『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』の中の一場面
    1番のみ。(50秒あたりから)

オペラ

ベルリオーズ編曲

その他

ラ・マルセイエーズを聴く(歌う)ときの注意事項

  • 1 行目末尾の Patrie(祖国)は会話ではふつうは「パトリ」と発音し、3 行目末尾の tyrannie(専制)は「ティラニー」と発音しますが、この歌の場合は、歌の拍子にあわせて「パトリ 」、「ティラニー 」のように歌います。この「ウ」は eu と同じような音です。
    -ille の発音のように「パトリーユ」と聞こえるときもありますが、結果としてそう聞こえるだけで、正確には「パトリ」と「ウ」に分かれます)。
  • r の音は、うがいをするときのように喉の奥で破裂させる(破裂しっ放しにする)のではなく、個人差はありますが(イメージとしては)喉の奥で舌を小さく丸めるような感じて発音することが多いので、美しく響く r になります。
  • 全体的に「リエゾン」が多く使われます(会話ならリエゾンしないところまでリエゾンします)。特に、
     sanglant est levé サングランルヴェ
     Combats avec コンバヴェック
     mâles accents マールクサン
     ennemis expirants エンヌミクスピラン
  • さらに、ルフランに含まれる sang impur(けがらわしい血)の部分の g は、昔は k の音でリエゾンして「サンンピュール」と歌っていました(Cf. 朝倉 p.230 左「g」)が、最近はここはリエゾンせずに「サン ンピュール」と言うことが多くなっています。これは、昔は語末の g は k の音でリエゾンし、たとえば long hiver(長い冬)は「ロンヴェール」と発音していましたが、いまではリエゾンせずに「ロン ヴェール」と発音するようになっていることが背景にあります。
    • リエゾンして「サンンピュール」と言っている例は、上のリストでは Toscani、映画の Georges Mendel、ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』と La Marseillaise、『カサブランカ』、ド・ゴールなど。
  • Marchons, marchons !(進もう、進もう!)の部分は Marchez, marchez !(進め、進め!)と言う場合もあります。
  • ベルリオーズ編曲版では、1番の歌詞に出てくる féroces は同じ意味の farouches に置き換えられているようです。

詩の音節(音綴)の数え方についての基本的な規則

「ラ・マルセイエーズ」を例に取って、一般に詩の音節いわゆる「音綴」)の数え方についての基本的な規則を以下に記しておきます。

1. 原則として、いわゆる「無音の e(=通常の会話では発音しない e)は、詩の朗読ではすべて軽く「ウ」と発音し、1 音節として数える。

2. 例外その1 :母音字の前の e は発音せず、1 音節として数えない。

  • たとえば、2 行目の gloire は次の単語(est)が母音字 e で始まるので発音せず、数えません。

3. 例外その2 :行末の e は発音せず、1 音節として数えない。

  • たとえば、1 行目末尾の Patrie や 3 行目末尾の tyrannie は発音せず、1 音節として数えません。
    (歌うときは前述のように Patrie や tyrannie ははっきりと「ウ」と発音しますが、これは歌の中でリズムを取るためのものであり、詩として朗読する場合は発音しません)。

4. この 3. の行末の e の後ろに子音字がついている場合も、e は発音せず、1 音節として数えない。

  • たとえば、6 行目末尾の campagnes や 9 行目末尾の compagnes は、行末の e の後ろに子音字である s がついていますが、こうした場合も e は発音せず、1 音節として数えません。
    (この詩の中では行末にあるために cam-pagnes, com-pagnes というように 2 音節扱いになりますが、行末以外の場所にあれば cam-pa-gnes, com-pa-gnes というように 3 音節として数えます)。


  • この他にも規則はありますが省略します。こうした詩の音綴の数え方の規則に興味がある方は、名著 鈴木信太郎『フランス詩法』上巻の第2章「律動」に詳しく記載されています。 ⇒ Amazon


以上のような規則に照らして、「ラ・マルセイエーズ」の 1 番の歌詞を詩として音節に区切って書くと、次のようになります。

  • Al-lons en-fants de la Pa-trie,
    Le jour de gloire est ar-ri-vé !
    Con-tre nous de la ty-ran-nie
    L'é-ten-dard san-glant est le-vé,
    L'é-ten-dard san-glant est le-vé,
    En-ten-dez-vous dans les cam-pagnes
    Mu-gir ces fé-ro-ces sol-dats ?
    Ils vien-nent jus-que dans nos bras
    É-gor-ger nos fils, nos com-pagnes !

こうしてみると、各行はすべて 8 音節からなっていることがわかります。







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  ⇒ ベルギー国歌(日本語訳と解説)(別サイト)















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