「北鎌フランス語講座 - 文法編」と連動し、短い例文を使って徹底的に文法を説明し、構文把握力・読解力の向上を目指します。

フランス語原文でビュフォンを読む

ビュフォン『博物誌』

このページでは、ビュフォン『博物誌』の中から、生まれたばかりの人間の状態について書かれた一節を、「文法編」の説明に即して一文ずつ解説していきます。
大変な名文である上に、文法的にも非常に有益です。
1994年の京都大学の入試問題(英語の代わりにフランス語で受験する高校生向けの問題)にも採用されました。

  Si quelque chose est capable de nous donner une idée de notre faiblesse, c'est l'état où nous nous trouvons immédiatement après la naissance ; incapable de faire encore aucun usage de ses organes et de se servir de ses sens, l'enfant qui naît a besoin de secours de toute espèce, c'est une image de misère et de douleur ; il est dans ces premiers temps plus faible qu'aucun des animaux, sa vie incertaine et chancelante paraît devoir finir à chaque instant ; il ne peut se soutenir ni se mouvoir, à peine a-t-il la force nécessaire pour exister et pour annoncer par des gémissements les souffrances qu'il éprouve, comme si la Nature voulait l'avertir qu'il ne vient prendre place dans l'espèce humaine que pour en partager les infirmités et les peines.

ここで取り上げた文章は、ピリオド(ポワン)が 1 つしかないという点では、これ全部で 1 つの文です。
しかし、「ポワンヴィルギュル」がいくつかあります。ポワンヴィルギュルは原則として日本語の「。」に相当するので、ポワンヴィルギュルで区切って見ていきます。

Si quelque chose est capable de nous donner une idée de notre faiblesse, c'est l'état où nous nous trouvons immédiatement après la naissance ;

全体としては、「Si」(もし)が従属接続詞なので、文頭からコンマまでが従属節です。まずは、この従属節から順に見ていきます。

「Si」は英語の if に相当します。
フランス語の学習当初は、条件法の例文で必ず出てくるため、「非現実の仮定」(事実に反する仮定)のイメージが強いかもしれませんが、この文では条件法は使われていないことからもわかるように、特に「非現実」(事実に反する)というわけではなく、単なる「仮定」です。

「quelque chose」は「不定代名詞」で「何か」。
「est」は être の現在 3人称単数。
「capable」は de と一緒に使う形容詞で、capable de + inf. で「~できる」。

その直後の「nous」は、人称代名詞の表を見ればわかるように、主語・直接目的・間接目的・強勢形がいずれも同じ nous という形になります。ここでは主語ではなく、強勢形になる必然性もないので、直接目的か間接目的のどちらかになりますが、どちらであるかは他のものを確定してから後回しで決めるべきなので、保留にしておきます。

「donner」は他動詞で「与える」。典型的には、第5文型をとる直接他動詞(2)のタイプの動詞で、前置詞 à とセットで使用し、
  donner A à B (AをBに与える)
という使い方をします。
結論から言うと、この A に相当するのが「une idée de notre faiblesse」です。
「à B」はどうなったかというと、「前置詞 à + 人」は、代名詞に置き換わると間接目的一語になり、à は消えるという規則により、「à B」はさきほどの「nous」に置き換わったと考えることができます。つまり、「nous」は間接目的ということになります。

「idée」は女性名詞で、辞書を引くと「考え、概念」と出ていますが、「イメージ」と訳せる場合もあります。
「idée de ~」で「~という考え」という意味にもなりますが、「~についての概念(イメージ)」ともなります。
ここでは、前置詞「de」(英語の of に相当)は「~について」(話題、主題)の意味に取り、「~についてのイメージ」とするとぴったりきます。

「notre」は所有形容詞で「私達の」。
「faiblesse」は女性名詞で「弱さ」。
所有形容詞は冠詞の代わりとなる言葉なので、冠詞はつけません。

ここまでを逐語訳すると、「もし何ものかが、私達に私達の弱さについてのイメージを与えてくれることができるとしたら、」となります。

次に、コンマの後ろの主節を見ていきます。

「c'est」は、指示代名詞 ceêtre の現在 3人称単数の「est」が組み合わさった形で、「それは~である」。

「état」は男性名詞で、小文字だと「状態」、大文字だと「国家」。
英語の state と語源的に同じです。

「où」は関係代名詞。先行詞が場所・時を表す場合に使いますが、場所・時のほかに、「状態」でも構いません。

「l'état où...」で「...という状態、...な状態」とります。
(「l'État où...」であれば「...な国家」です)。

「où」の前から「naissance」の後ろまでが関係詞節です(カッコに入ります)。

次に、一般に「nous nous」という並びになっていたら、最初の nous は主語で、次の nous は再帰代名詞です。

「trouvons」は他動詞 trouver (見つける、見出す)の現在1人称複数。
ここでは再帰代名詞とセットで使われており、se trouver で「自分を見出す」→「見出される」→「(ある場所や状態に)いる、ある」または「(ある場所や状態に)置かれている」という意味になります(「熟語」のページの se trouver = être の項目を参照)。

この意味の se trouver は être を使って書き換えられるので、書き換えると次のようになります。

  c'est l'état où nous sommes immédiatement après la naissance

「immédiatement」は副詞で「すぐに、ただちに」。
「après」は前置詞で「~のあとで」。
「immédiatement après ~」で「~のすぐあとに、~の直後に」となります。
「naissance」は女性名詞で「誕生」。

【逐語訳】
もし何ものかが、私達に私達の弱さについてのイメージを与えてくれることができるとしたら、それは誕生のすぐあとに私達が置かれている状態である。

要するに、赤ん坊の無防備な状態は、人間の「弱さ」を象徴している、というような話です。

incapable de faire encore aucun usage de ses organes et de se servir de ses sens, l'enfant qui naît a besoin de secours de toute espèce, c'est une image de misère et de douleur ;

「incapable」は形容詞で「不可能な」。
in は否定を表す接頭語なので、これを省けば capable (可能な)となります。どちらの形容詞も、後ろに前置詞 de + 不定詞がくると、

  capable de + inf. ~できる
  incapable de + inf. ~できない

となります。

「faire」は他動詞で「する、作る」。
「encore」は副詞で「まだ」。否定の pas とセットで pas ...encore (まだ ...ない)として使うことがよくあります。ここでは pas はありませんが、「incapable」に否定の接頭語が含まれているので、実質上は否定の文脈で使われています。

「aucun」は「いかなる」。主に否定文で使われ、aucun ~ ne... で「いかなる~も ... ない」 となります。ここでは、形式上は否定文ではありませんが、「incapable」によって内容的には実質上、否定になっています。

「usage」は男性名詞で「使用」。これが他動詞「faire」の直接目的になっています。
しかし、「使用をする」とか「使用を作る」というのは、いかにも変です。変だと思ったら、熟語ではないかと疑ってみる必要があります。一般に、直訳してみて意味が通りにくい場合は、熟語の可能性が高いといえます。ここは、

  faire usage de ~ 「~を使用する、使う、用いる」

という熟語です(「usage」は熟語なので無冠詞)。

「ses」は所有形容詞で「彼の」または「自分の」。ここでは、後ろに出てくる「l'enfant」(子供)を指します。普通は代名詞は前に出てきた名詞を指しますが、従属節(またはそれに類する文の要素)が前にきた場合は、従属節の中の代名詞が、後ろにくる主節の中の名詞を指すことができます(ここでは incapable... sens は厳密には「従属節」ではありませんが、それに類する要素となっています)。
「organe」は男性名詞で(動物の)「器官」。

「et」は接続詞で「そして」、「と」。 et は等位接続詞であり、A et B (AとB)と言った場合は、A と B は「並列」の関係になります。ここでは B の部分が「de + 不定詞」なので、A も「de + 不定詞」のはずです。つまり、

  A = de faire encore aucun usage de ses organes
  B = de se servir de ses sens

であり、どちらも incapable de というつながりになっています。

「servir」は色々な意味がありますが、ここでは

  se servir de ~ 「~を使用する、使う、用いる」

という基本的な熟語が使われています。さきほどの faire usage de ~ とほとんど同じ意味です。

「sens」は例外的に語末の s も発音し、男性名詞で「方向、意味、感覚」。
ここでは前後の文脈から「感覚」の意味だろうと見当をつけます。視覚、聴覚などの「五感」のような意味です。

ここまでを逐語訳すると、「まだ自分の器官をまったく使用することができず、自分の感覚を用いることができない」となります。
この冒頭部分が後ろにどうつながっていくかは、あとで考えます。

「enfant」は「子供」。男性の冠詞をつければ「男の子」、女性の冠詞をつければ「女の子」となりますが、ここでは抽象的に「子供」という意味で使っています(この場合は、文法的には男性名詞扱いになります)。
「qui」は関係代名詞。
「naît」は自動詞 naître の現在 3人称単数。

この「qui」によって関係詞節になる(カッコに入る)のは、関係代名詞の前から、2 つめの動詞の前までです。ここでは、「naît」の後ろに「a」という動詞がきているので、その前まで、つまり「qui naît」が関係詞節です(カッコに入ります)。
「l'enfant qui naît」で「生まれる子供」つまり「生まれてくる子供」となります。

「a」は他動詞 avoir の現在 3人称単数。

  avoir besoin de ~ 「~を必要とする」

という基本的な熟語が使われています。「besoin」は「欲求」という意味なので、もともとは「~の欲求を持つ」というような意味です。「besoin」は熟語なので無冠詞です。

「secours」はもともと s で終わる単語で、男性名詞で「救助、助け」。英語の rescue (レスキュー)の元になった言葉です。
内容的には、不特定のさまざまな「助け」が考えられるので、「secours」の前には不定冠詞の複数の des がつくべきところですが、前置詞 de の後ろでは不定冠詞の複数の des は必ず省略されるという規則により、無冠詞になっています。

「toute」は単数・無冠詞なので「あらゆる」
「espèce」は女性名詞で「種類」。
「de toute espèce」で「あらゆる種類の」となります。辞書だと、特に熟語としては載っていないかもしれませんが、espèce の「種類」の意味の例文で使われていることが多いようです。

「l'enfant qui naît a besoin de secours de toute espèce」を逐語訳すると、「生まれてくる子供は、あらゆる種類の助けを必要としている」となります。
この部分を文の要素に分けるなら、「l'enfant qui naît」が主語、「a」が動詞、「besoin de secours de toute espèce」が直接目的で、第3文型です。これだけで文として完結しています。

この後ろに、「c'est」(それ〔これ〕は~である)で始まる第2文型の文がきています。ということは、この文は「重文」になっています。

「image」は女性名詞で「イメージ、象徴」。英語にも同じ綴りで入っています。
「image de ~」で「~のイメージ、~の象徴」。
その後ろは、普通なら定冠詞がつき、「une image de la misère et de la douleur」とすべきかもしれません。
しかし、おそらく「misère」と「douleur」という 2 つの名詞が列挙されている感じなので、無冠詞になっているのでしょう。

「misère」は女性名詞で「惨めさ、悲惨さ」。辞書には色々な訳が載っていますが、大もとのイメージとしては、聖書(ラテン語)の Miserere mei, Deus (ミゼレーレ、メイー、デウス、「主よ、我を哀れみ給え」)という言葉と切り離せないイメージがあると思います。つまり、神という広大な存在から見て、ちっぽけで哀れむべきもの、というイメージです。「misère」の形容詞の形「misérable」(悲惨な、哀れむべき)も同様です。ちなみにユゴーの『レ・ミゼラブル』(Les Misérables )は形容詞の名詞化で、「悲惨な人々、哀れむべき人々」という意味です。

「douleur」は女性名詞で「苦しみ」。

「c'est une image de misère et de douleur」を逐語訳すると、「これは惨めさと苦しみのイメージである」となります。

さて、さきほど「後回し」にした、冒頭の「incapable de faire encore aucun usage de ses organes et de se servir de ses sens」(まだ自分の器官をまったく使用することができず、自分の感覚を用いることができない)は、その後ろにどうつながっているかというと、フランス語の文法では、この部分は主節(つまり「l'enfant qui naît a besoin de secours de toute espèce」)の主語(「l'enfant」)と同格になっている、と説明するのが一般的です。
「主語と同格」の場合は、その部分を主節の主語に掛けて訳すことが多く、上の箇所も「子供」に掛けて処理することができます。

【逐語訳】
まだ自分の器官をまったく使用することができず、自分の感覚を用いることができない、生まれてくる子供は、あらゆる種類の助けを必要としている。これは惨めさと苦しみのイメージである。

il est dans ces premiers temps plus faible qu'aucun des animaux, sa vie incertaine et chancelante paraît devoir finir à chaque instant ;

冒頭の「il」は、「l'enfant」を指します。ほかにも男性名詞の単数形は出てきましたが、直前の文(または節)の中に、指している可能性のあるものが複数存在する場合は、普通は直前の文(または節)の中で主語になっているものを指すのが原則です。

「dans」は前置詞で、ここでは「~において」。
「ces」は指示形容詞で「この、その、あの」。
「premiers」は形容詞 premier(初めの、最初の)の複数形。
「temps」はもともと s で終わる単語で、男性名詞で「時、時間、時期」。
「premiers temps」(初期)という場合は複数形で使うことが多いようです。

「dans ces premiers temps」で「この初期の頃に(は)」となります。要するに「生まれたばかりの頃には」という意味です。
これが文の中では「時を表す状況補語」となります。

「plus ... que ~」は比較の表現で、「~よりも...」。
「faible」は形容詞で「弱い」。
「aucun」は英語の any に相当し、原則として否定文で使われ、「いかなる」という形容詞になることが多い言葉です。しかし、形容詞であるなら、これは「不定形容詞」なので名詞の前に置く(つまり直後に名詞がくる)はずですが、ここでは直後に名詞がありません。辞書を引くと、形容詞とは別に代名詞(不定代名詞)としての意味・用法も載っています。典型的には後ろに de がきて、

  aucun de + 複数名詞 「~のうちのいかなるもの(も)」「~のうちの誰(も)」

という使い方をします(辞書の例文を参照)。

ここでは、「aucun des animaux」で「動物のうちのいかなるもの」となります。

ここまでで、「子供は、この初期の頃には、動物のうちいかなるものよりも弱い」となります。

ここで、いったん文が完結しています。
コンマを挟んで新しい文が始まっているので、ここも「重文」ということになります。

「sa」は所有形容詞で「彼の、彼女の、その」などの意味になります。
内容的には、さきほどの「il」と同様、「l'enfant」を指します。

「vie」は女性名詞で、英語の life に相当し、「人生、生活、生命」という 3 つの訳語が基本ですが、ここでは文脈から「生命」としてみます。

これに形容詞が 2 つかかっており、いずれも女性単数の e がついていますが、まず最初の「incertain」は「不確かな」。
in は「否定」を示す接頭語で、これを省くと certain(確かな、確実な)となります。英語にも同じ綴りで入っています。

次の「chancelant」は「よろめくような」。
一般に、語尾が ant で終わっている形容詞は、動詞の現在分詞がそのまま形容詞化してできた場合がほとんとです。
この chancelant も、もとは chanceler (よろめく)という自動詞の現在分詞の形です。

「sa vie incertaine et chancelante」で「彼の(その)不確かでよろめくような生命」となります。

「paraît」は paraître の現在 3人称単数。「現れる」という意味もありますが、後ろに不定詞がきているので、「~のように見える、~のように思われる」という意味です。
ちなみに、方向性を示す接頭語 a がついた apparaître も似たような意味で、こちらは英語にも入っています(appear)。

「devoir」は「~しなければならない」というのが一番基本的な意味ですが、そう取ると意味が変になってしまうので、ここは「~に違いない」という意味に取る必要があります。英語の must と同様です。

「finir」は自動詞で「終わる」または他動詞で「終える」。ここでは直接目的語がないので、自動詞です。
「chaque」は英語の each に相当する形容詞で、「各々の、各~」。
「instant」は男性名詞で「瞬間」。
その前の前置詞「à」は、ここでは「時」を表し、「~に」。
「à chaque instant」で「各瞬間に、毎瞬間」。

【逐語訳】
子供は、この初期の頃には、動物のうちいかなるものよりも弱く、その不確かでよろめくような生命は、毎瞬間ごとに終るに違いないように思われる。

il ne peut se soutenir ni se mouvoir, à peine a-t-il la force nécessaire pour exister et pour annoncer par des gémissements les souffrances qu'il éprouve, comme si la Nature voulait l'avertir qu'il ne vient prendre place dans l'espèce humaine que pour en partager les infirmités et les peines.

長い文ですが、前から順に見ていきます。

「il」は、前の文と同様、「l'enfant」を指します。
後ろに「ni」が入っており、その前後が「se soutenir」と「se mouvoir」という同じような形(並列)になっているのでわかるように、これは ni A ni B ne... (A も B も ... ない)の最初の ni が省略された形です。省略しないと、次のようになります。

  • il ne peut ni se soutenir ni se mouvoir

「peut」は pouvoir (~できる)の現在 3人称単数。

「soutenir」は他動詞で「支える」(英語に入ると sustain となります)。もともと sous (下に)+ tenir (持つ、つかむ)がくっついてできた言葉です。
これに再帰代名詞 se がついているので、「自分を支える」となります。

「mouvoir」は他動詞で「動かす」。再帰代名詞 se がつくと、「自分を動かす」、つまり「動く」という自動詞的な意味に変化します。
ちなみに、「mouvoir」の名詞の形が mouvement (動き、運動)。英語に入ると、少し綴りが変わって movement となります。

ここまでで、「子供は自らを支えることも動くこともできない」となります。
ここで文法的には、いったん文が完結しています。また「重文」になっています。

この後ろは、倒置などの巧みな言葉の配置によって、たたみかけるような緊張感のある文体となっており、一つのクライマックスを形成しています。

「à peine」については、熟語のページで取り上げたように、「かろうじて...程度だ(...ぐらいだ、...だけだ)」という訳を使うと、うまく感じが摑めます(辞書によく載っている「ほとんど... ない」という訳を使うと、しっくりきません)。

辞書で peine を引き、熟語欄を見ると「à peine」が載っており、「à peine が文頭にくると、主語と動詞が倒置になりやすい」というようなことが記載されているはずです(『ディコ仏和辞典』あたりだと、後ろに que がくる場合にしかこの記述がなく、不十分です)。

これは「文法編」の「倒置」の説明でいうと、「4. 文頭に特定の副詞がきた場合」に該当します(ここでは副詞相当の語句)。

「a-t-il」の「a」は avoir (持つ)の現在 3人称単数。「il」は引き続き「l'enfant」を指します。
間に入っている「-t-」は、倒置にしたときに「動詞の3人称単数の語尾が e か a で終わり、次に代名詞 il, elle, on がくる時は、動詞と代名詞の間に -t- を入れる」という規則によるもので、発音しやすくするためのものなので t 自体に意味はありません。

「force」は女性名詞で「力」。
「nécessaire」は形容詞で「必要な」。
「pour」は前置詞で「目的」などを表し、「~ために」。後ろに不定詞がくれば「~するために」となります。
ただし、別々にしないで、「nécessaire pour ~」で「~するために必要な」という使い方をする、と覚えると役に立ちます。

「exister」は自動詞で「存在する」。
その後ろに等位接続詞「et」(そして)があり、また「pour」があるので、「et」を挟んで「並列」になっていることがわかります。

「annoncer」は他動詞で「告げる」。
英語に入ると、少し綴りが変わって「announce」となります。

  • 余談ですが、一般に英語の語源の説明では、フランス語と似ている言葉であっても、フランス語ではなく直接ラテン語から来ているかのように説明されることがあり、多くの英語の辞書の語源欄にもそのように書かれています。しかし、歴史的には 11 世紀のノルマン・コンクエスト以降、フランス語の圧倒的な影響のもとで英語が形成されたことは明らかであり、歴史的にも地理的にもフランスを飛び越えてイギリスに入るわけがないのに、あたかも直接ラテン語から来ているかのように主張したがるのは、おそらくイギリス人(および英文学研究者)のプライドゆえではないかという気がします。

さて、「annoncer」は他動詞ですが、すぐ後ろには直接目的語がありません。すぐ後ろには「par」(~によって)という前置詞がきており、前置詞の後ろの言葉は直接目的語にはなりえないからです。
そのため、「直接目的語はどれか」を探しながら、後ろを読んでいくことになります。

「gémissement」は男性名詞で「うめき」。もともと、自動詞 gémir (〔苦しんで〕うめく)から派生した言葉です。
『ロワイヤル仏和中辞典』で gémissement を引くと「うめき」という訳語が当てられており、用例として

  posser des gémissements うめき声を出す

と書かれています。
一般に、「抽象的な意味の名詞を複数形で使うと、個別・具体的なものを指す」という傾向があります(個別・具体的なものは「数えられる」感じがするからです)。
これに引きつけて言うなら、「gémissement」はあくまで「うめき」という抽象的な意味の名詞であるけれども、s をつけて複数形にすることで、個々のさまざまな「うめき声」を意味するようになる、ということもできます。
その前の「des」は、不定冠詞の複数の des です。

「souffrance」は女性名詞で「苦しみ」。
「qu'」は関係代名詞の que で、「qu'il éprouve」が関係詞節になります。
「éprouve」は他動詞 éprouver (〔感情を〕抱く)の現在3人称単数。
「les souffrances qu'il éprouve」で「彼が抱いている苦しみ」となり、これが「annoncer」の直接目的になっています。

「à peine... qu'il éprouve」を逐語訳すと、「かろうじて存在するために、そしてうめき声によって自分が抱いている苦しみを告げ知らせるために必要な力を持っているだけである」。

「comme si...」は「あたかも ...であるかのように」

「Nature」は女性名詞で「自然」。
これが大文字で書かれているのは、「自然の摂理」というようなニュアンス(つまり「神」に似たような意味)だからだと思われます(フランス語で「神」という場合は、原則として大文字で Dieu と書くことからの類推)。ただし、こうした意味の場合には大文字で書かなければならないという規則が存在するわけではありません(ciel を「空」ではなく「天」という意味で使う場合に大文字にすることがあるのと同様)。一般に、フランス語では意味を強めたい場合は、比較的自由に大文字にすることができるようです。

「voulait」は vouloir (~したい)の直説法半過去3人称単数。
これが半過去になっているのは、「主節が現在の場合は、comme si... の後ろは直説法半過去にする」という規則があるからです(ここでは、主節は「à peine... qu'il éprouve」であり、主節の動詞「a」は現在です)。

「avertir」は他動詞で「知らせる、警告する」。
辞書を見ると、色々な使い方が書かれていますが、ここでは

  avertir qn que + ind. 「~に ...ということを知らせる」

という使い方をしています。日本語の「~に」に引きずられて qn (人)の前に前置詞 à などをつけないことが重要です。「人」が直接目的になります。
ここでは、この qn に相当するのが「l'」(=「l'enfant」)で、que + ind. (直説法)に相当するのが「qu'il ne vient...」以降です。

「comme si la Nature voulait l'avertir qu'...」だけを訳すと、「あたかも自然は、子供に ...ということを知らせようとしているかのようだ」となります。
この「voulait」は、comme si の後ろだから自動的に半過去になっているだけなので、半過去のようには訳さず、現在らしく訳すのがポイントです(「熟語」のページの comme si の解説を参照)。

その後ろの「il」は引き続き「l'enfant」を指します。もちろん「非人称の il」というのもありますが、最初のうちは、実際に前に出てきたものを当てはめても意味が通じない場合だけ、非人称の il ではないかと見当をつけていけばいいと思います(ここでは「l'enfant」で問題なく意味が通じます)。

次の否定の「ne」は、ここでは pas とセットでは使われていません。気の早い人は「虚辞の ne 」か? 「ne の単独使用」か? と思ってしまうかもしれませんが、よく後ろを見ていくと「que」があり、 ne... que ~ 「~しか ...ない」というつながりになっていることがわかります(そうしないと、この「que」が説明できません)。
このように、ne と que の間が相当離れる場合も少なくありません。

「vient」は venir (来る)の現在 3人称単数。
後ろに不定詞がきているので、「~しに来る」という意味です。

「prendre」は他動詞で「取る、つかむ」。ほぼ英語の take に相当します。
「place」は女性名詞で「場所」。これが無冠詞になっているのは熟語だからで、「prendre place」という熟語になっています。
『ロワイヤル仏和中辞典』で place を引くと、「席、座席」の意味のところに「席に着く、(物が場所に)収まる」という意味しか書かれていませんが、これだとぴったりきません。元の意味は「場所を取る」なので、「場を占める」くらいの意味になるだろうと見当がつくと思います。

「espèce」は女性名詞で「種類」または(生物の)「種」。
辞書を引くと、「l'espèce humaine」で「人類」という用例が載っているはずです。

「pour」は後ろに不定詞がきているので、「pour + inf.」で「~するために」。

「il ne vient prendre place dans l'espèce humaine que pour...」だけを逐語訳すると、「子供は ...するためにしか、人類の中に場を占めにやって来ない」となります。
この ne... que ~ (~しか ...ない)の「しか」は、「pour...」を強調しています。
ちなみに、ne... que は省いても意味はあまり変わりません。 ne... que を省くと、次のようになります。

  • il vient prendre place dans l'espèce humaine pour...
    子供は ...するために人類の中に場を占めにやって来る

最後に、「pour」の後ろを見ておきます。

「en」は動詞の直前にあるので中性代名詞の en です。それでは、「en」を使わないで書き換えると、どうなるでしょうか。

この「en」は、「文法編」の中性代名詞 en 「その 1 」と「その 2 」の見分け方で明らかなように、中性代名詞 en その 1 :「de + 物」に代わる en です。
そのうちの「名詞に掛かる(訳:「その」)」に相当します。この部分を中性代名詞 en を使わないで書き換えると、次のようになります。

  • pour partager les infirmités et les peines de l'espèce humaine.

この de と、前に出てきた l'espèce humaine がひっくるめて en に置き換わり、動詞の直前に出ているわけです。

「partager」は他動詞で「共有する」。
「infirmité」は「身体障害」などの意味で使われますが、ここでは古い意味で「(人間の)弱さ」という意味です。
「peine」は女性名詞で「苦痛、苦労」。

【逐語訳】
子供は自らを支えることも動くこともできず、かろうじて存在するために、そしてうめき声によって自分が抱いている苦しみを告げ知らせるために必要な力を持っているだけである、あたかも、子供は人類の弱さと苦痛とを共有するためにしか、人類の中に場を占めにやって来はしないのだということを、自然が子供に知らせようとしているかのように。















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