「北鎌フランス語講座 - 文法編」と連動し、短い例文を使って徹底的に文法を説明し、構文把握力・読解力の向上を目指します。

フランス語原文でモンテスキューを読む

モンテスキュー『法の精神』

このページでは、モンテスキューの『法の精神』の中の、一見すると奴隷制を正当化しているとも取れる有名なくだりを、「文法編」の説明に基づいて一文ずつ解説します。

この部分は、フランスでは大学受験の小論文の練習などで「これを読んで、あなたの考えを述べなさい」として取り上げられることもあります。

  Si j'avais à soutenir le droit que nous avons eu de rendre les nègres esclaves, voici ce que je dirais :
  Les peuples d'Europe ayant exterminé ceux de l'Amérique, ils ont dû mettre en esclavage ceux de l'Afrique, pour s'en servir à défricher tant de terres.
  Le sucre serait trop cher, si l'on ne faisait travailler la plante qui le produit par des esclaves.
  Ceux dont il s'agit sont noirs depuis les pieds jusqu'à la tête ; et ils ont le nez si écrasé qu'il est presque impossible de les plaindre.
  On ne peut se mettre dans l'esprit que Dieu, qui est un être très sage, ait mis une âme, surtout bonne, dans un corps tout noir.
  (...)
  Il est impossible que nous supposions que ces gens-là soient des hommes ; parce que, si nous les supposions des hommes, on commencerait à croire que nous ne sommes pas nous-mêmes chrétiens.

Si j'avais à soutenir le droit que nous avons eu de rendre les nègres esclaves, voici ce que je dirais :

 Si j'avais à soutenir le droit que nous avons eu de rendre les nègres esclaves,

「Si」は接続詞で「もし」。
「avais」は avoir (持っている)の直説法半過去(1人称単数)。

「si + 直説法半過去」ときたら、主節には条件法現在がきて、「現在の事実に反する仮定」になることが予想されます(実際、あとで条件法が出てきます)。

avoir à + inf. は「~しなければならない」という意味。これは devoir を使って言い換えられるので、

  Si je devais soutenir...

といっても同じです。

「soutenir」は他動詞で「支持する、(主張を)擁護する」。接頭語 sou- は「下から」という意味で、tenir は「持つ」なので、もともとは「下から持つ」つまり「支える」という意味です。英語に入ると sustain となります。

「droit」はここでは男性名詞で「権利」。
「le droit de inf.」で「~するという権利」という意味になるので、関係代名詞の「que」から「de」の前まで(すなわち「que nous avons eu」)はカッコに入れて(関係代名詞節として)考える必要があります。

つまり、「le droit (権利)」という言葉には、2 つがかかっています。

  le droit que nous avons eu (私達が持った権利)
  le droit de rendre les nègres esclaves (黒人達を奴隷にするという権利)

「avons」は助動詞 avoir の現在(1人称複数)。
「eu」は avoir の過去分詞ですが、こちらは「持つ」という意味の本動詞として使われています。
時制は avoir + p.p. で複合過去です。

「rendre」はここでは「返す」という意味ではなく、 rendre A B で「A を B (という状態)にする」という意味。ここでは A に相当するのが「les nègres」、 B に相当するのが「esclaves」です。
「nègre」は名詞で「黒人」。「esclave」は名詞で「奴隷」という意味と、形容詞で「奴隷状態の」という意味があり、ここは文法的にはどちらとも取れます。

このあたりは、次の文がベースにあると考えればわかりやすくなります。

  Nous avons eu le droit de rendre les nègres esclaves.
    (私達は黒人達を奴隷にするという権利を持った)

この「le droit (権利)」が関係代名詞の que の先行詞となって前に出て、「私達が持った、黒人達を奴隷にするという権利」となったわけです。

 voici ce que je dirais :

「voici」はこれから述べること(以下のこと)を指します。基本的には、

  voilà はこれまで述べてきたこと(以上のこと)
  voici はこれから述べること(以下のこと)

を意味します(ただし、混同して逆に使われることもあります)。

voici, voilà は、語源的には「voi」は voir (見る)の命令形の古い形なので、それぞれ「これを見よ」、「あれを見よ」というのが元の意味です(辞書によっては各単語を引くと冒頭部分に記載されています)。
voici, voilà という単語の中にすでに動詞が含まれているので、voici, voilà を使ったら、ほかに動詞は使いません(これはパスカルの文でも出てきました)。

ce は関係代名詞の先行詞になると「...なもの」「...なこと」という意味。 que が関係代名詞です。
「dirais」は他動詞 dire (言う)の条件法現在(1人称単数)。

「voici ce que je dirais」を逐語訳すると、「以下が私が言うであろうことだ」という感じです。

さきほど「si + 直説法半過去」が出てきたので、ここの条件法現在(dirais)と組み合わさって、「現在の事実に反する仮定」になっています。

ただし、「voici」が挟まっているので、少し変形された形になっています。「voici」を使わないで、基本的な「現在の事実に反する仮定」の形にすると、次のようになります。

  Si j'avais à soutenir le droit que nous avons eu de rendre les nègres esclaves, je dirais :

さて、なぜここで条件法が使われているかというと、この部分のフランス語だけから見ると、少なくとも 2 通りの解釈が可能かと思います。

  1. 一つは、この文の筆者(モンテスキュー)は「私達が持った、黒人達を奴隷にするという権利」を支持(擁護)しているわけではないが、もし仮に「支持(擁護)しなければならない」のだと仮定したら(非現実の仮定)、「以下のように言うであろう」という感じで、条件法が使われていると取ることが可能です。
    この場合、この冒頭部分は、以下で述べることは筆者(モンテスキュー)の意見ではない、という断り書きのような役割を果たすことになります。

  2. もう一つは、逆に、この文の筆者(モンテスキュー)(および「nous (私達)」と言われている同時代のヨーロッパの人々)にとっては、過去に「私達が持った、黒人達を奴隷にするという権利」はあまりにも当然で明白なので、いまさらその「権利を支持(擁護)しなければならない」必然性は感じられないけれども、もしあえて「支持(擁護)しなければならない」と仮定したら(非現実の仮定)、「以下のように言うであろう」という感じで、条件法が使われていると取ることもできます。
    この場合、あえて言うなら以下のように言うこともできる、という感じになります。

このように、このフランス語だけ読んでも、筆者モンテスキューはどのような立場で書いたのかはわかりません。
岩波文庫『法の精神』(中)p. 398 の訳注では、「この章の原文は仮定法で書かれており、M(モンテスキュー)の意見ではない」と書かれていますが、この文のフランス語が「条件法で書かれている」ということだけを理由に、以下の文が「モンテスキューの意見ではない」と決めつけることはできないと思います。

実際、ここだけを取り上げて、モンテスキューは(黒人については)奴隷制を正当化していると解釈する人もいます。
ただ、あまりにも論理的に滅茶苦茶なので、一見すると奴隷制度に賛成する立場を取るかに見せて、わざと滑稽な論拠を列挙し、奴隷制度賛成論者の論法が滅茶苦茶であることを読者に悟らせようとしている、と解釈することもできます。おそらく、そのほうが穏当だろうとは思います。

【逐語訳】
もし私が、私達が持った、黒人達を奴隷にするという権利を支持(擁護)しなければならないとしたら、以下が私が言うであろうことだ。

(元のフランス語の構造が把握しやすくなるよう、わざと逐語訳しています)

Les peuples d'Europe ayant exterminé ceux de l'Amérique, ils ont dû mettre en esclavage ceux de l'Afrique, pour s'en servir à défricher tant de terres.

コンマを境に 3 つの部分に区切ることができます。
慣れてくると、1 つ目の部分は動詞が「ayant」というように -ant で終わっているので現在分詞だから、ここは分詞構文らしい、という勘が働くようになります。
そして、2 つ目の部分の動詞は「ont dû」というように活用している(=主語に合わせて形が変化している)ので、ここが文全体のメインの動詞らしいこと、また 3 つ目の部分は pour 以下が「~するために」という付け足しになっているな、ということが、(慣れてくると)辞書を引かないでもわかるようになります。

 Les peuples d'Europe ayant exterminé ceux de l'Amérique,

「peuple」は男性名詞で「民族、民衆」。辞書の例文を見ればわかるように、「民衆」という意味の場合は単数形で使います。ここはヨーロッパのさまざまな民族があるので複数形になっています。
「Europe」は女性名詞で「ヨーロッパ」。なぜ無冠詞かというと、「de + 名詞」が一語の形容詞のように意識されているからだと言えるでしょう。つまり、ここは européen (ヨーロッパの)という形容詞を使って「Les peuples européens」と言い換えることができます。

「ayant」は助動詞 avoir の現在分詞
「exterminé」は他動詞 exterminer (皆殺しにする、絶滅させる)の過去分詞。
「ayant + p.p.」となっているので、複合過去がベースにあります。

この「Les peuples d'Europe ayant exterminé ceux de l'Amérique」全体が「分詞節」になっていますが、通常の分詞構文とは違って、分詞(ここでは現在分詞 ayant)の前に「Les peuples d'Europe (ヨーロッパ民族)」という、一語の名詞相当の言葉がきています。ということは、これは「絶対分詞構文」だということになります。

「ceux」は指示代名詞 celui の男性複数の形。ここは「Les peuples」を指しており、「ceux de l'Amérique」は「les peuples de l'Amérique」と言い換えることができます。
「Amérique」は女性名詞で「アメリカ」。ここでは「アメリカ合衆国」ではなく、むしろ南米を中心とした「アメリカ大陸」を指します。

さきほどの「Europe」の場合は無冠詞だったのに、ここは「Amérique」の前に定冠詞がついています。なぜここも無冠詞にして「ceux d'Amérique」としないのかというと、少しややこしい話になりますが、さきほど述べたように「de + 無冠詞名詞」は一語の形容詞のように意識され、ここは「ceux américains」(américain は「アメリカの」を意味する形容詞)と同じように意識されます。しかし、実は指示代名詞 celui の後ろには形容詞ではなく名詞を置くのが文法的に望ましいとされています。例えば『ロワイヤル仏和中辞典』で celui を引くと、celui の後ろに形容詞等を置く言い方について、「注意 これはくだけた語法であり、関係節を用いたり名詞を反復するのが好ましいとされている」と書かれています。そのため、ここは冠詞をつけることで、名詞らしくしたのだと説明できるかもしれません。
ただし、「ceux d'Amérique」としても間違いではなく、実際にはこの表現も使われます。あえて上のように説明しましたが、実際にはどちらでも構わないともいえます。

さて、以上の部分は、次の文がベースにあります。

  Les peuples d'Europe ont exterminé ceux de l'Amérique.
    (ヨーロッパの諸民族はアメリカの諸民族を皆殺しにした)

「ont」は助動詞 avoir の現在(3人称複数)。「ont exterminé」で exterminer の複合過去になっています。
この「ont」を ayant にすることで分詞構文になり、主節(コンマの後ろ)につながっています。分詞構文の意味は、主節との意味的な関係によって決まるので、主節の部分を読まないと決められませんが、結論からいうと、ここは「原因・理由」の意味になって主節につながっています。

ここまでで、「ヨーロッパの諸民族はアメリカの諸民族を皆殺しにしたので、」となります。

 ils ont dû mettre en esclavage ceux de l'Afrique,

「ils」は男性複数のものを指しますが、前に出てきた「Les peuples d'Europe」も「ceux de l'Amérique」も男性複数です。しかし、直前の文(または節)の中に、それが指している可能性のあるものが複数存在する場合は、普通は直前の文(または節)の中で主語になっているものを指すのが原則なので、ここも前の(ここでは分詞節)の中で主語になっている「Les peuples d'Europe」を指します。

「ont」は助動詞 avoir の現在(3人称複数)。「dû」はアクサン シルコンフレクスがなければ de と le の縮約形または部分冠詞ですが、アクサン シルコンフレクスがついていたら devoir (~しなければならない)の過去分詞です。
「ont dû」で devoir の複合過去になっています。

mettre は他動詞で、「(ある場所に)置く」という意味もありますが、もう少し抽象的に「(ある状態に)する」という意味もあるので、辞書で探してみてください。この意味の場合は、前置詞 en を使った例文が多く記載されているはずです。
例えば『ロワイヤル仏和中辞典』には、

  mettre un ami en colère (友人を怒らせる)

という例文が載っています。「ami」は「友人」。「colère」は女性名詞で「怒り」。ちなみに、前置詞 en の後ろでは無冠詞になりやすいので、colère も無冠詞になっています。
この例文は、図式化すると

  mettre A en B (A を B という状態にする)

となり、「文法編」の「動詞の 6 分類」で言うと、直接他動詞(2)のタイプの動詞ということになります。つまり donner などと同じタイプであり、このタイプの動詞は第 5 文型を取ります。
第 5 文型の場合、「donner A à B」の「A」と「à B」を逆にして「donner à B A」と言うことも可能ですが、それと同様に、「mettre A en B」は

  mettre en B A

と言うことも可能です。
ここでは B に相当するのが「esclavage」、 A に相当するのが「ceux de l'Afrique」です。

「esclavage」はもともと esclave (奴隷)から派生した単語で、-age で終わっているので男性名詞です。ここでは「隷属状態」というような意味です。
「ceux」はさきほどと同様、「les peuples」を指します。

ここまでで、「彼らはアフリカの諸民族を隷属状態にしなければならなかった」となります。

 pour s'en servir à défricher tant de terres

「pour」は前置詞で「~するために」。
「en」は、フランス語で 3 種類ある en のうち、動詞の直前にあるので中性代名詞の en です。
ここは、「servir」という動詞の最もよく使われる用法・意味が

  se servir de ~ 「~を使う、~を利用する」

なので、この「de ~」が「en」に置き換わったということが比較的すぐにわかるかと思います。この中性代名詞の en は、「文法編」の分類でいうと、「de + 物」に代わる - de を伴う直接他動詞に掛かるに該当します。
ちなみに、この再帰代名詞の「se」は「熟語的」(つまり再帰代名詞と他動詞とに分解不可能)なので、「se servir de」で丸暗記するしかありません。
「s'en servir」だけ訳すと「それを利用する」となります。
「en (それ)」が意味的に何を指すのかは後回しにして、先に後ろを見ておきます。

前置詞「à」は色々な意味があるので、できれば動詞との関連で理解しておきたいところです。もう一度、辞書で servir を見ると、 à と一緒に使って「~するのに役立つ」というような意味が載っています。つまり、 à は servir と一緒に使うと「~(するの)に」という意味になることがわかります。

「défricher」は他動詞で「開拓する」。
「tant de + 名詞」は、 que と一緒に使うと tant de ~ que... で「とても多くの~ので...」という意味になりますが、ここは que がないので、暗黙のうちに同等比較を含む「si」が「かくも」という意味になるのと同様、この「tant de」も「かくも多くの(これほど多くの)」という感じです( si のほかに tant も「かくも」という意味で使われます)。
「terre」は女性名詞で「土地」。

ここまでで、「かくも多くの土地を開拓するのにそれを利用するために」となります。

さて、中性代名詞の en (それ)は何を指すかというと、意味的には「ceux de l'Afrique (アフリカの諸民族)」としか取れません。
中性代名詞 en は、普通は「de + 物」に置き換わるはずですが、「de + 人」に置き換わることも、ないわけではありません。辞書・参考書の類を参照してみると、

  1. 『ロワイヤル仏和中辞典』で en を引くと、「注意 12」に「一般に en は物を指し、人を指す場合は < de + 人称代名詞強勢形 > を用いる」が、例外的に、「感情」や「運動」を表す動詞およびその他の若干の動詞の場合は、「en は人を指すことができる」ことが記載されています(ただし、ここでは該当しません)。
  2. 新フランス文法事典』 p.193 には、「en の代理する語が直前にあって、人を表わすことが明らかなときには人の代理をすることもまれではない」と書かれています。
  3. 小学館ロベール仏和大辞典』で en を引くと、「en は一般に物を受け、人を受けるのは古風な用法」と書かれています。

ここでは、2 の説明(直前にあって、人を表わすことが明らか)と 3 の説明(古風な用法)が一番ぴったりきます。
ということで、「en」は「それ」ではなく「彼ら」と訳すことができます。

ちなみに、各種辞書で en を引けば載っているように、通常は「物」ではなく「人」の場合は en ではなく人称代名詞の強勢形を使用するので、次のようになります。

  pour se servir d'eux à défricher tant de terres

「eux」は人称代名詞の強勢形の 3 人称複数の形です。

以上をつなげると、

  • ヨーロッパの諸民族はアメリカの諸民族を皆殺しにしたので、かくも多くの土地を開拓するのに彼らを利用するために、彼らはアフリカの諸民族を隷属状態にしなければならなかった。

となりますが、「開拓するのに彼らを利用するために」のあたりの日本語がわかりにくくなっています。ここは、 pour は「目的」的ではなく「結果」的に解釈し、次のように訳したほうがぴったりきます。

  • ヨーロッパの諸民族はアメリカの諸民族を皆殺しにしたので、彼らはアフリカの諸民族を隷属状態にし、かくも多くの土地を開拓するのに彼らを利用しなければならなかった。

だから黒人達を奴隷にしたのも当然なのだ、というわけです(ずいぶん身勝手な論理ですが)。

最後に「...のだ」とつけると、しっくりきます。

【逐語訳】
ヨーロッパの諸民族はアメリカの諸民族を皆殺しにしたので、彼らはアフリカの諸民族を隷属状態にし、かくも多くの土地を開拓するのに彼らを利用しなければならなかったのだ。

Le sucre serait trop cher, si l'on ne faisait travailler la plante qui le produit par des esclaves.

「sucre」は男性名詞で「砂糖」。
「serait」は être (~である)の条件法現在(3人称単数)。
後ろに si (もし)があるので、典型的な現在の事実に反する仮定です。
「trop」は副詞で「あまりにも、~すぎる」。
「cher」は形容詞で「(値段が)高い、高価な」。

ここまでが主節で、「si」以下すべてが従属節です。
この間にコンマがありますが、これはなくても構いません。フランス語ではコンマの有無は厳密なものではなく、ここも深い意味はありません。

「si」の後ろの不定代名詞「on」には「l'」がついていますが、この l’ は語調を整えるためのもので、意味はありません。 si の後ろでは l’ がつきやすくなります。

否定文にするには、普通は動詞を ne と pas で挟みますが、ここでは pas (またはそれに類する言葉)がありません。ということは、虚辞の ne か、または ne の単独使用(ne だけで否定を表す)のどちらかです。
辞書で ne を引くと、「ne の単独使用」のところに、「si で始まる条件節で」などという項目があるはずです。ここは、

  si l'on ne faisait pas travailler...

としても構いませんが、si (もし)の後ろなので、(特に文章語では) pas を省略することも可能なわけです。

「faisait」は faire の直説法半過去(3人称単数)。現在の事実に反する仮定なので直説法半過去になっています。
その後ろに「travailler (働く)」という不定詞がきています。ということは、この faire は使役動詞です。 faire travailler で「働かせる」となります。

ただし、普通は travailler は「働く」という意味の自動詞ですが、ここではその後ろに直接目的らしき言葉(la plante)がきているので、ここは travailler は他動詞の意味で使っています。辞書を引くと、「加工する」という意味があり、

  travailler la pâte 「生地をこねる」
  travailler la terre 「土地を耕す」

などの例文が載っています。ここは「travailler la plante」で「植物を栽培する」という意味です。「plante」は la がついているのでわかるように女性名詞で「植物」。

その後ろに関係代名詞「qui」がついています。
結論から言うと、ここは「qui le produit」がカッコ(関係詞節)に入り、先行詞「la plante」に掛かります。
「le (それを)」は「Le sucre (砂糖)」を指します。
「produit」は他動詞 produire (生産する)の現在(3人称単数)。 produire は conduire と同じ活用をする不規則動詞です。ここでは「生産する」というよりも「生み出す」という感じです。
「la plante qui le produit」で「それ(=砂糖)を生み出す植物」となります。

その後ろの前置詞「par」は、ここでは使役動詞 faire との関連で出てきています。
辞書で faire を引き、使役(~させる)の意味を見ると、どの辞書にも、「faire の後ろの動詞(=不定詞となっている動詞)が他動詞の場合は、動作主(=「誰に」させるのかという「誰」に相当する人)の前には前置詞 à または par を置く」というような説明が書かれています。

「esclaves」は esclave (奴隷)の複数形。その前の「des」は不定冠詞の複数形。

【逐語訳】
砂糖は、もし人がそれを生み出す植物を奴隷に栽培させなかったとしたら、高価すぎるものとなることだろう。

だから黒人を奴隷にしたのは当然だ、というわけです。

Ceux dont il s'agit sont noirs depuis les pieds jusqu'à la tête ; et ils ont le nez si écrasé qu'il est presque impossible de les plaindre.

 Ceux dont il s'agit sont noirs depuis les pieds jusqu'à la tête

「Ceux」は関係代名詞の先行詞になると「...な人々」という意味になります。

ここでなぜ関係代名詞「dont」が使われているかというと、「Il s'agit de ~」が「~に関することだ、~が問題だ」という意味で、この「~」に相当するものが先行詞になったためです。
「Ceux dont il s'agit」で「問題となっている人々」という意味になり、これ全体が大きな主語となっています。

「sont」は être (である)の現在(3人称複数)。
「noirs」は形容詞 noir (黒い)に男性複数を示す s がついた形。
「depuis」は前置詞で「~以来、~から」。
「pieds」は男性名詞 pied (足)の複数形。

「jusqu'à」は、もともと前置詞「jusque (~まで)」と前置詞「à (~に)」がくっついた言葉で、「~にまで」というのが元の意味ですが、ほとんど 2 語でセットになって「~まで」という意味で使われます(「前置詞句」の一種)。
「tête」は女性名詞で「頭」。ただし英語の head と同様、「頭部」という感じなので、日本語だと「顔」といったほうがぴったりくる場合もあります。

「 ; 」は「」ピリオド(.)とコンマ(,)の中間ぐらいの切れ具合を示す、「ポワンヴィルギュル」と呼ばれる記号です。

 et ils ont le nez si écrasé qu'il est presque impossible de les plaindre

接続詞「et (そして)」の後ろの「ils」は「Ceux dont il s'agit (問題となっている人々)」を指します。
「ont」は他動詞 avoir (持っている)の現在(3人称複数)。
「nez」は男性名詞で「鼻」。

「écrasé」は、もともとは他動詞 écraser (つぶす)の過去分詞(つまり「つぶされた」という意味)ですが、もう完全に形容詞化しており、辞書には「écrasé」で「つぶれた」という意味で載っています。
ただし、覚えるときは動詞 écraser とセットで覚えれば一石二鳥です。

「ils ont le nez écrasé」だけなら、逐語訳すると「彼らはつぶれた鼻を持っている」(つまり「彼らの鼻は非常につぶれている」)ですが、この「écrasé」を「si ~ que...」が挟んでいます。
que の後ろの動詞が直説法なので、「si ~ que...」は「とても~なので...」という意味です。

「il est impossible de + 不定詞」は「~するのは不可能だ」という、よく使われる表現です。この il は仮主語で、「de + 不定詞」が意味上の主語です。

これに副詞「presque (ほとんど)」が挟まっています。このように、副詞は(単純時制の場合は)動詞の直後に置くのが普通です。

「plaindre」は、再帰代名詞とセットで se plaindre de ~ 「~について文句を言う、不満を漏らす」という意味がよく使われますが、ここでは普通の他動詞(いわゆる「直接他動詞」)で「同情する」という意味です。その直前の「les」は、この文の主語「ils」を指します。

【逐語訳】
問題となっている人々は、足から頭まで黒い。そして彼らの鼻は非常につぶれているので、彼らに同情することはほとんど不可能である。

On ne peut se mettre dans l'esprit que Dieu, qui est un être très sage, ait mis une âme, surtout bonne, dans un corps tout noir.

この文にはコンマが 4 つあります。

まず 1 つ目のコンマから見ると、一般に、関係代名詞の前にコンマがあったら、その次のコンマまでが関係詞節となる(カッコに入る)可能性が大です。
ここも、「qui est un être très sage」が関係詞節になり(カッコに入って)、直前の先行詞「Dieu」にかかっています。

また、前後をコンマで挟まれた「surtout bonne」も、結論からいうと挿入句になっています(省いても文法的に成り立つため)。

 On ne peut se mettre dans l'esprit que...

「On」漠然と「人は」という意味で、むしろ訳さないほうが自然です。
主語を曖昧にしておきたい時に便利な言葉です。
ここを「Je」にすると、筆者であるモンテスキューが以下のように考えていることになりますが、「On」を使えば、誰の意見なのかを曖昧にしておくことができるわけです。

次に「ne」がありますが、pas (またはそれに類する言葉)がありません。ということは、虚辞の ne か、または ne の単独使用(ne だけで否定を表す)のどちらかです。
ここは pouvoir とセットで使っているので、ne の単独使用だとわかります。
「peut」は pouvoir の現在(3人称単数)です。

次の「se mettre」のあたりは、文法的に説明しようとすると少し難しいことになりますが、ある程度重要なので、詳しく説明しておきます。
(その前に、「文法編」の「再帰代名詞」のページをきちんと読んでいない人は、この際、じっくり読んでおいてください)。

この部分を考えるに当たって、『ロワイヤル仏和中辞典』で mettre を引き、再帰代名詞 se を伴う項目を見ると、「(自分の体に)つける」という意味の最後に、次のような例文があり、ヒントになります。

  se mettre une idée dans la tête 「ある考えを頭に入れる」

まず、この例文について、詳しく見ておきます。
「se」は再帰代名詞で、基本的には「自分を」(直接目的)と「自分に」(間接目的)の 2 つの意味がありますが、直接目的か間接目的かは、再帰代名詞以外のものを先に確定したのち、消去法で決めるべきなので、後回しにします。
「mettre」は他動詞で「置く」。
「idée」は女性名詞で「考え」。ある一つの考えなので、不定冠詞がついています。
「tête」も女性名詞で「頭」。体の一部を表す名詞には定冠詞をつけるのが原則なので、「la」がついています。
さて、「une idée (ある考え)」は「mettre (置く)」の直接目的としか取れないので、「se」は消去法で間接目的(つまり「自分に」)ということになります。

以上、上の例文を逐語訳すると、「ある考えを自分に置く、頭の中に」となります。
つまり、「ある考え」をどこに「置く」かというと、いったん「自分に」と言ってから、もう少し具体的に「頭の中に」と補足しているわけです。

さらに言えば、体の一部を表す名詞と一緒に用いる間接目的は、「~に」ではなく「~の」という意味になるため、「se」は「自分の」という意味だともいえます。この場合、逐語訳すると「ある考えを自分の頭の中に置く」となり、このほうがすっきりするかもしれません。

以上を踏まえ、モンテスキューの元の文に戻ります。
「dans」は前置詞で「~の中に」。
「esprit」は男性名詞で「頭」(英語の spirit に相当)。
「que」は接続詞で「...ということ」という意味で、「que」以下全体を 1 つの名詞のようなもの(「名詞節」)にまとめる働きをします。

「se mettre dans l'esprit que...」は、逐語訳すると「...ということを自分の頭の中に入れる」となります。「se mettre dans l'esprit (自分の頭の中に入れる)」というのは、要するに imaginer (想像する)という意味に取ることができると思います。

つまり、この「On ne peut se mettre dans l'esprit que...」という部分は、次のように言い換えることができます。

  On ne peut imaginer que... (...ということを想像することはできない)

ちなみに、岩波文庫『法の精神』(中)p. 58 では、ここは「...という考えに同調することはできない」と訳されていますが、これは原文にはないニュアンスをつけ加えた「意訳」という気がします。

 que Dieu, qui est un être très sage, ait mis une âme, surtout bonne, dans un corps tout noir

que の後ろの従属節の中を見ていきます。
前述のように、各コンマの間は挿入句なので、これを省くと次のようになります。

  que Dieu ait mis une âme dans un corps tout noir

まず、この部分から見ていきましょう。
「Dieu (神)」は、通常、大文字で無冠詞にします。

「ait」は助動詞 avoir の接続法現在(3人称単数)。「mis」は他動詞 mettre (置く)の過去分詞
「助動詞の接続法現在 + p.p.」で「接続法過去」になるので、「ait mis」は mettre の接続法過去(3人称単数)ということになります。

なぜ接続法になっているかというと、前述のように「se mettre dans l'esprit que...」は、逐語訳すると「...ということを自分の頭の中に入れる」、つまり imaginer que... (...ということを想像する)と同じような意味になります。主節で croire (思う)などの動詞を否定文で用いると、que の後ろの動詞が接続法になるという規則がありますが、ここもそれに準じるものと考えることができます。

また、接続法の 4 つの時制のうち、なぜ「接続法過去」が使われているかというと、主節は現在であり(「peut」は pouvoir の現在)、あとで見るように意味的には「主節より過去・完了」のことだからです。

「âme」は女性名詞で「魂」。
「dans」は前置詞で「~の中に」。
「corps」は男性名詞で「体、肉体」。âme (魂)と反対語なので、l'âme et le corps (魂と肉体)という言い方をよくします。
「noir」は形容詞で「黒い」。

その前の「tout」は「すべての」と取ると変です。一般に、形容詞が 2 つ、コンマも接続詞 et (そして)もなく続くことは普通はありません。
この「tout」は強意の副詞で「とても、まったく」というような意味に取る必要があります(辞書に出ています)。ここは noir (黒い)を強めており、「tout noir」で「真っ黒の」という意味です。

以上、挿入句を除いた「que Dieu ait mis une âme dans un corps tout noir」は、「神が真っ黒な肉体の中に魂を置いたということ」となります。

次に、1 つ目の挿入句「qui est un être très sage」を見ておきます。
関係代名詞「qui」は、先行詞が関係詞節内の動詞の意味上の主語の場合に使います。
ここで言うと、先行詞「Dieu」は、関係詞節内の動詞「est」の動詞の意味上の主語になっているわけです。つまり、この部分は、次の文がベースにあります。

  Dieu est un être très sage. (神は非常に賢明な存在である)

「est」は être の現在(3人称単数)。
その後ろの「être」は、冠詞 un がついているのでわかるように男性名詞です。辞書で être を引くと、最後の方に名詞として「存在物、生物、人」などの意味が載っています。ただ、一語で覚えるなら「存在」という訳が一番応用範囲が広いかと思います。
「très」は副詞で「非常に、とても」。
「sage」は形容詞で「賢い、賢明な」。

「Dieu, qui est un être très sage」で「非常に賢明な存在である神」となります。

ついで、2 つ目の挿入句「surtout bonne」に移ります。
「surtout」は副詞で「とりわけ」。もともと、前置詞 sur (~の上に)と名詞 tout (すべて)がくっついてできた単語なので、「すべての上に」というのが語源的な意味です。

「bonne」は形容詞 bon の女性単数の形。
bon は「良い」のほかに「善良な」という意味も重要です。人について言う場合、

  • beau は外見的に「美しい」
    bon は内面的に性格が「良い」

という感じです。
ここで「bonne」という女性単数の形になっているのは、「âme (魂)」が女性名詞だからです。ここで

  une âme, surtout bonne,

となっているのは、「魂、とりわけ善良な魂」というように言い直している感じです。つまり、ここは丁寧に言うと次のようになります。

  une âme, surtout une bonne âme,

一部の短い形容詞は、名詞の前に置きますが、bon もこれに含まれます。

なお、「âme」の前には不定冠詞 une がついていますが、これは一般に、形容詞がつくと不定冠詞がつきやすくなるからです。

【逐語訳】
非常に賢明な存在である神が、真っ黒な肉体の中に魂、とりわけ善良な魂を置いたということを、自分の頭の中に入れる(想像する)ことはできない。

Il est impossible que nous supposions que ces gens-là soient des hommes ; parce que, si nous les supposions des hommes, on commencerait à croire que nous ne sommes pas nous-mêmes chrétiens.

ポワンヴィルギュルを境に 2 つの部分に分かれますが、前半が主節、後半が理由を表わす従属節になっており、普通ならポワンヴィルギュルではなくコンマヴィルギュル)を使うところです。
この文は少し長いので、いったん大きく区切るためにポワンヴィルギュルを使ったのでしょう。このあたりの記号の使い方は、あまり厳密な規則はありません。

「parce que (なぜなら)」という接続詞句の後ろにコンマがあります。
一般に、接続詞または接続詞句の後ろにコンマがあったら、普通はもう一回コンマが出てくるはずで、2 つのコンマの間は挿入句になります。ここも、そうなっています。

 Il est impossible que nous supposions que ces gens-là soient des hommes

主語の「Il」は que 以下を指す仮主語の il です。

  Il est possible que... (...することは可能だ)
  Il est impossible que... (...することは不可能だ)

の que の後ろは、接続法になると決まっています(辞書で possible や impossible を引くと載っています)。これは「文法編」の「接続法の用法」の 1. (4) の規則によるものです。

que の後ろに「nous (私達)」が出てきますが、nous というのは実際には誰を指すのか曖昧な表現です。
例えば、論文や論説文では、「je (私は)」を使うと「私」個人の主観的な意見にすぎないという感じになりかねないので、「私(筆者)は ...と思う」という意味で、わざと je ではなく nous を使い、客観性を出そうとすることがよくあります。
nous を使うと、客観性が出る反面、責任の所在が曖昧になるという欠点もあります。ストレートに「je (私は)」と言うと、「私」だけが発言内容の責任を取らなければならなくなりますが、「nous」を使うと、そのあたりが曖昧になるので、悪く言えば責任逃れをしている感じを受けることもあります。

「supposions」は他動詞 supposer (仮定する、想定する、考える、前提とする)の接続法現在。「Il est impossible que」の後ろなので、自動的に接続法になります。
語源的には、sur (上に) + poser (置く)という意味です。

「gens」は「人々」という意味。複数形でしか使わない言葉です。
「ces」は指示形容詞 ce の複数形。
もともと ce は this と that の両方の意味を兼ねた言葉なので、どちらの意味かをはっきりさせたい場合は、名詞の後ろに「-ci」「-là」をつけて区別します。ただ、ここでは話題になっている人々(黒人)が 2 種類存在するわけではないので、「-là」は単に強調しているだけです。辞書で là を引くと、「強調」または「強意」という項目があるはずです。

「soient」は être の接続法現在(3人称複数)。なぜ接続法になっているかというと、単に「supposer que... の後ろだから」というわけではありません。
辞書で supposer を引くと、 supposer que... の後ろは、supposer が

  • 「仮定する」という意味の場合は接続法
  • 「推測する」、「考える」という意味の場合は直説法
    (ただし、主節が否定・疑問の場合は接続法)

になる、と書かれているはずです。
ここは、内容からして supposer は「考える」という意味ですが、否定の ne (...pas) は使われていないので、狭い意味では「否定文」ではありません。しかし、意味的に考えれば、「impossible (不可能な)」というのは「否定」を意味する言葉です。ですから、ここは「supposer que... の後ろであり、この supposer は『考える』という意味であるが、『主節が否定』なので、接続法になっている」というのが正しい答えです。
このように、狭い意味での「否定文」でなくても、意味的に否定であれば接続法になります。

ここまでで、「これらの人々が人間であると私達が考えるのは不可能である」となります。

 si nous les supposions des hommes

「parce que... (なぜなら...だからだ)」の後ろを見ておきます。
「si (もし)」の後ろの動詞「supposions」は、さきほど出てきた動詞 supposer の直説法半過去(1人称複数)。「Si + 直説法半過去」ときたら、普通は主節で条件法現在を使用し、現在の事実に反する仮定になるはずです。実際、ここも主節の動詞「commencerait」は commencer の条件法現在(3人称単数)となっています。

「supposer」は、先ほどとは違って、ここでは「仮定する」という意味です。
「動詞の 6 分類」でいうと、第 6 文型をとる「直接他動詞(3)」のタイプに相当し、

  supposer A B (A が B だと仮定する)

という使い方をします。 A が直接目的、 B が属詞で、基本的には A に名詞、 B に形容詞がきます。
例えば『ロワイヤル仏和中辞典』には、次のような例文が載っています。

  La pression est supposée constante. (圧力は一定だと仮定されている)

「est supposé」(être + p.p.)で受動態になっており、過去分詞の性数の一致によって e がついています。これは次の表現がベースにあります。

  supposer la pression constante (圧力が一定だと仮定する)

A に相当するのが「la pression (圧力)」、 B に相当するのが「constante (一定の)」です。元の辞書の例文は受動態なので、直接目的語の A が主語になっています。

モンテスキューの原文に戻ると、 A に相当するのが「les」、 B に相当するのが「des hommes」です。
先ほど書いたように、基本的には B には形容詞がきますが、B は属詞なので、形容詞ではなく名詞がくることもあります(正確には、「des」が不定冠詞の複数、「hommes」が名詞ですが、あわせて一語の名詞扱いです)。

ここまでで、「もし私達が、彼らが人間であると仮定したら」となります。
非現実の仮定なので、実際は彼ら(=黒人)は人間ではない、ということになります。

 on commencerait à croire que nous ne sommes pas nous-mêmes chrétiens

さきほどと同様、ここも「on」が使われています。
「commencerait」はさきほど書いたように commencer (始まる、始める)の条件法現在で、ここは

  commencer à + inf. (~し始める)

という使い方をしています。
「croire」は他動詞で「思う、信じる」。その直接目的が「que」以下(文末まで)です。
文法的には、この「que」は接続詞で、英語の that に相当し、「...ということ」というように、「節」全体を一つの名詞相当のまとまり(つまり「名詞節」)にする働きがあります。
「sommes」は être (~である)の現在(1人称複数)。これを ne... pas で挟んで否定になっています。
「nous-mêmes」は「私達自身」。人称代名詞の強勢形にハイフンをつけて même をつけると「~自身」という意味になります。ここでは「nous」を強調しているので、省いても(カッコに入れても)文は成り立ちます。
「chrétien」は形容詞で「キリスト教徒の」または名詞で「キリスト教徒」。ここは属詞なので、形容詞とも名詞とも取れます

【逐語訳】
これらの人々が人間であると私達が考えるのは不可能である。なぜなら、もし私達が、彼らが人間であると仮定したら、人は私達自身、キリスト教徒ではないと考え始めることだろう。

論理的にかなり飛躍があるので(滅茶苦茶なので)少しわかりにくいところですが、要するに「私達がキリスト教徒であるのが明らかであるように、彼らが人間でないことは明白だ」という意味でしょう。











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