フランス語訳聖書 迷える羊
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迷える羊(La brebis perdue)の喩え話を、2 つの福音書で比較してみます。
どちらの福音書でも、話の最後の ainsi の後ろに、喩え話の意味が書かれています。
2 つの福音書で、喩え話が少し違った風に解釈されているのが注目されます。
恐らくイエスが語ったのは喩え話だけで、それがどのような意味であるのかは、各福音書の作者が自分なりに解釈して付け足したのかもしれません。
La Bible de Jérusalem 版からの抜粋です。
- 『マタイによる福音書』 第 18 章 12~14 節
« À votre avis, si un homme possède cent brebis et qu'une d'elles vienne à s'égarer, ne va-t-il pas laisser les quatre-vingt-dix-neuf autres sur les montagnes pour s'en aller à la recherche de l'égarée ? Et s'il parvient à la retrouver, en vérité je vous le dis, il tire plus de joie d'elle que des quatre-vingt-dix-neuf qui ne se sont pas égarées. Ainsi on ne veut pas, chez votre Père qui est aux cieux, qu'un seul de ces petits se perde. »
Matthieu 18, 12-14
- 『ルカによる福音書』 第 15 章 4~7 節
« Lequel d'entre vous, s'il a cent brebis et vient à en perdre une, n'abandonne les quatre-vingt-dix-neuf autres dans le désert pour s'en aller après celle qui est perdue, jusqu'à ce qu'il l'ait retrouvée ? Et, quand il l'a retrouvée, il la met, tout joyeux, sur ses épaules et, de retour chez lui, il assemble amis et voisins et leur dit : “Réjouissez-vous avec moi, car je l'ai retrouvée, ma brebis qui était perdue !” C'est ainsi, je vous le dis, qu'il y aura plus de joie dans le ciel pour un seul pécheur qui se repent que pour quatre-vingt-dix-neuf justes, qui n'ont pas besoin de repentir. »
Luc 15, 4-7
『マタイによる福音書』 第 18 章 12~14 節
À votre avis, si un homme possède cent brebis et qu'une d'elles vienne à s'égarer, ne va-t-il pas laisser les quatre-vingt-dix-neuf autres sur les montagnes pour s'en aller à la recherche de l'égarée ?
少し長い文ですが、最後に疑問符(?)がついているのでわかるように疑問文です。疑問文にするために「ne va-t-il pas」の部分が倒置になっているので、この文全体の主語がこの「il」で動詞が「va」だということがわかります。
ということは、「ne va-t-il pas」以降が主節で、「s'égarer」までは従属節だろうという見当がつきます。
実際、文頭の「À votre avis」を除けば、この文は従属接続詞 si 〔英語の if 〕で始まっています。
À votre avis, si un homme possède cent brebis
「avis」は男性名詞で「意見、考え」。もともと s で終わる単語なので、単複同形です。
「à」は前置詞で、ここでは「~では」という感じです。ただし、ここは
à + 所有形容詞 + avis (~の意見では、~の考えでは)
という熟語です。辞書で avis を引くと、熟語欄に
à mon avis (私の考えでは)
à ton avis (君の考えでは)
à son avis (彼・彼女の考えでは)
などとして記載されています。
ここは、イエスが複数の弟子たちに向かって言っているので、「à votre avis」で「あなた達の考えでは」となります。
「si」は接続詞で「もし」。
「possède」は posséder (所有する)の直説法現在(3人称単数)。posséder は répéter と同じ活用をする不規則動詞です(一部アクサンの向きが不規則になります)。
「cent」は数詞で「百」。
「brebis」は女性名詞で「牝(めす)の羊」。これも、もともと s で終わる単語なので、単複同形ですが、ここは意味的に複数形です。キリスト教では「忠実な信者、善良な人々」の比喩として用いられるようです。
ちなみに牡(おす)の羊は bélier です(占星術の「牡羊(おひつじ)座」は bélier です)。
「si un homme possède cent brebis」で「もし一人の人が牝の羊を百匹所有していたとしたら」となります。
et qu'une d'elles vienne à s'égarer
接続詞 et (そして)の後ろの「qu'」が難しいかもしれません。
「qu'」はもちろん que の e がアポストロフに変わった形です。
この que は何かというと、直前に先行詞がないので、関係代名詞ではありません。これは接続詞の que です。
辞書で que を引き、接続詞の que のところをよく探すと、必ずどの辞書にも、「先行する接続詞(句)の代用となる」用法が記載されているはずなので、探してください。「接続詞(句)」というのは、「接続詞」または「接続詞句」という意味です。
直前に et (そして)か ou (または)がつき、et que または ou que という形で使われるのが特徴です。
ここでは、前に出てきた si の代用となっています。つまり、ここは次のように書き換え可能です。
...si un homme possède cent brebis et si une d'elles vienne à s'égarer...
この 2 回目に出てくる si が que によって代用されているわけです。
同じ言葉を重複すると稚拙な感じになるため、それを避けるために、この que が使われます。
「elles」は人称代名詞の強勢形で、前に出てきた女性名詞の複数形「brebis」を指します。前置詞の後ろなので、強勢形になっています。
「une d'elles」で「それらの牝の羊たちのうちの一匹」となります(英語の「one of them」)。
「vienne」は venir (来る)の接続法現在(3人称単数)。
なぜ接続法になっているかというと、さきほどの辞書の「先行する接続詞の代用となる que」のところに、「si の代用で que を用いた場合、動詞は接続法になる」と記載されているはずです。この規則により、自動的に接続法になります。
やさしい文章では直説法にすることもありますが、この文章はきちんとした文章なので、接続法が使われています。
venir を辞書で引くと、不定詞と一緒に使う使い方として、
venir à + 不定詞 「たまたま~する」
と記載されています。
「égarer」は他動詞で「迷わせる」ですが、これに再帰代名詞 s' がつくと、「s'égarer」で「自分を迷わせる」→「迷う」というように、自動詞的な意味に変化します。
「et qu'une d'elles vienne à s'égarer」は逐語訳すると、「そしてもしそれらの牝の羊たちのうちの一匹がたまたま迷ったとしたら」となります。
ne va-t-il pas laisser les quatre-vingt-dix-neuf autres sur les montagnes
「ne va-t-il pas」の部分は、否定の ne... pas があり、なおかつ倒置で疑問文になっているので、「否定疑問」です。
否定疑問は「...ないだろうか?」という意味になり、「いや、...するはずだ」という反語的な意味で用いられることがよくあります。
「il」は前に出てきた「un homme」を指します。
「-t-」は倒置にしたときに発音しやすくするためのもので、意味はありません。
「va」は aller (行く)の現在(3人称単数)。後ろの「laisser」が不定詞なので、aller + inf. という形になっています。この表現は、
1. 近接未来 「~しようとしている」
2. 「~しに行く」
の 2 つが典型的ですが、ここでは近接未来に近く、「~しようとする」という感じです(『ロワイヤル仏和中辞典』で aller を引くと、不定詞とセットで使う用法のところに「意思」という項目があり、これに該当します)。
「laisser」は英語の let に相当する使役動詞の意味もありますが、ここでは他動詞で「残す、置き去りにする」(英語の leave に相当)の意味で使っています。
「quatre-vingt-dix-neuf」は数詞で「99」。もともと「4 × 20 + 19」という数え方からきています。
「autres」は形容詞 autre (他の)の複数形。後ろに「brebis (牝の羊)」が省略されていると考えられます(名詞の省略)。
あるいは、形容詞「autre」が「他のもの」という意味で代名詞化されているとも取れます。要するにどちらでも同じ意味になります。
「sur」は前置詞で「~の上に」。「montagne」は女性名詞で「山」。
ここまでで、「その人は、99 匹の他の牝の羊を山々の上に置き去りにしようとしないだろうか」となります。
(置き去りにしようとするのではないだろうか、置き去りにしようとするはずだ、という意味です)
pour s'en aller à la recherche de l'égarée ?
「pour」は前置詞で「~のために」、「~するために」。あとで詳しく触れます。
「s'en aller」は「出て行く、立ち去る」という意味。辞書で aller を引くと、最後の方に載っています。もともと「s'」は再帰代名詞ですが、分解不可能で、「熟語的」と取るしかありません。この命令形も会話でよく使われます。
「recherche」は女性名詞で「探求、研究」〔英語 research〕という意味ですが、ここは「à la recherche de ~ (~を探しに)」という熟語です。
「égaré」は、さきほど出てきた他動詞 égarer (迷わせる)の過去分詞の形ですが、形容詞化しており、辞書には「égaré」で「道に迷った、はぐれた」という形容詞として載っています。
ここでは、この形容詞がさらに名詞化しており(形容詞の名詞化)、冠詞 + 人の性格などを表す形容詞で「~な人」という意味になっています。
正確には「人」ではなく「牝の羊」なので、「l'égaré」で「迷った牝の羊」となります。
ここを逐語訳すると、「迷った牝の羊を探しに立ち去るために」となります。
ただし、 A pour B. という表現は、「B するために A する」と「A して B する」の 2 通りの解釈の可能性があります。
ここも、「目的」的に後ろから訳して、
- 1. 迷った牝の羊を探しに立ち去るために、その人は 99 匹の他の牝の羊を山々の上に置き去りにしようとするのではないだろうか
とも訳せますが、「結果」的に前から訳して、
- 2. その人は 99 匹の他の牝の羊を山々の上に置き去りにして、迷った牝の羊を探しに立ち去ろうとするのではないだろうか
と訳すこともできます。
【フランス語からの逐語訳】
あなた達の考えでは、もし一人の人が牝の羊を百匹所有していたとしたら、そしてもしそれらの牝の羊たちのうちの一匹がたまたま迷ったとしたら、その人は 99 匹の他の牝の羊を山々の上に置き去りにして、迷った牝の羊を探しに立ち去ろうとするのではないだろうか。
【新共同訳】
あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。
Et s'il parvient à la retrouver, en vérité je vous le dis, il tire plus de joie d'elle que des quatre-vingt-dix-neuf qui ne se sont pas égarées.
Et s'il parvient à la retrouver,
接続詞「Et (そして)」の後ろの「s'」は、si (もし)の i がアポストロフに置き換わった形です。
「il」は前の文に出てきた「un homme」を指します。
「parvient」は「par」という接頭語(「最後まで」という意味) 〔※注〕 を省くと「vient」となり、これは venir (来る)の現在(3人称単数)です。
ということは、「parvient」の元の形は parvenir ということになります。
par (最後まで)+ venir (来る)というところから、「到達する」という意味です。
この動詞は前置詞 à と一緒に使い、
parvenir à ~ 「~に到達する」
という使い方をしますが、ここでは後ろに不定詞がきて、
parvenir à + 不定詞 「やっとのことで~する」
という意味です。
「la」は前の文の「l'égarée (迷った牝の羊)」を指します。
「retrouver」は他動詞で「再び見つける、探し出す」。
ここまでで、「そして、もしその人が、迷った牝の羊をやっとのことで探し出したとしたら」となります。
〔※注〕 普通は接頭語は辞書に載っていますが、par- は載っていない辞書もあります。これは、接頭語 par- を使った単語の数が多くはないからです。しかし、重要な単語に parfaire があり、これは par (最後まで)+ faire (行う)=「完成させる」という意味です。この過去分詞は parfait (完成された)で、これが形容詞化すると「完璧な」という意味になります。英語の perfect です。
これは「裏切りの予告」のページで出てきたので、そちらを参照してください。
il tire plus de joie d'elle que des quatre-vingt-dix-neuf qui ne se sont pas égarées
「tire」は他動詞 tirer (引く、引き出す)の現在(3人称単数)。
この動詞の使い方(つまり動詞の6分類のどれに該当するのか、そして特定の前置詞を伴う場合は、どの前置詞なのか)を把握していないと、この文は正しく意味を取ることができません。
辞書で tirer を引くと、もちろん単に「引く」という意味も載っています。どの辞書も似たようなものですが、例えば『プログレッシブ仏和辞典』には、
tirer une corde (綱を引っ張る)
という例文が出ています。これは第 3 文型をとる直接他動詞(1)のタイプです。ただ、第 3 文型は単純な構造になるので、これで意味を取り違える心配は、あまりありません。
しかしもう一つ、同じ辞書には、もう少し後ろのほうに
tirer un porte-monnaie de son sac (バッグから財布を取り出す)
という例文も載っています。「porte-monnaie」は男性名詞で「財布」。「sac」も男性名詞で「袋、かばん、バッグ」。その前の「son」は所有形容詞で、辞書の例文では3人称単数で代表させます(実際にはその場に応じて変化させます)。
これは、図式化すると次のようになります。
tirer A de B (A を B から取り出す、A を B から引き出す)
これだと第 5 文型をとる直接他動詞(2)のタイプになります。実は、この使い方が重要です。
つまり、tirer が出てきたら、それとの関連で前置詞 de が使われていないか、意識的になる必要があります。
この聖書の文でも de がいくつか出てきますが、そのうちのどの de が「tirer A de B」の de なのか、考える必要があります。
この文の構造を把握する上で、もう一つ重要なのは plus です。 ne はないので、否定の ne... plus ではなく、比較級で使う plus だと見当がつきます。実際、「比較の que 」も出てきます。
ここでは「plus de 名詞 que ~」となっているので、名詞の比較級です。
この名詞に相当するものが「joie (喜び)」です。女性名詞ですが、感情を表す言葉なので、部分冠詞がつきやすい傾向があります。本来なら「de la joie」となるところですが、前置詞 de の後ろの部分冠詞は必ず省略されるという規則により、部分冠詞の「de la」は省略され、無冠詞になっています。
「plus de joie (より多くの喜び)」と「比較の que 」の間には、「d'elle」という言葉が挟まっています。この「d'」が「tirer A de B」の de に相当します。この de は前置詞であり、前置詞の後ろでは人称代名詞は強勢形になるので、「elle」は強勢形です。この「elle」はさきほどの「la」と同様、前の文の「l'égarée (迷った牝の羊)」を指します。
「il tire plus de joie d'elle」で「その人は迷った牝の羊から、より多くの喜びを引き出す」となります。
一般に、物を比較する場合は、同じような物を比較します。文法的には、比較される 2 つの物は並列のような関係になります。片方が名詞ならもう片方も名詞になり、片方が「de + 名詞」なら、もう片方も「de + 名詞」になります。
ここでは何と何が比較されているかと言うと、「d'elle」と「des quatre-vingt-dix-neuf」(これに関係代名詞 qui 以下がかかっている)が比較されています。「d'elle」の「d'」が「tirer A de B」の de なので、「des quatre-vingt-dix-neuf」の「des」も(不定冠詞の複数の des ではなく)前置詞 de と定冠詞 les の縮約形であり、このうちの de が「tirer A de B」の de だということになります。
つまり、この文の「tirer A de B」の
A は「plus de joie (より多くの喜び)」
B は「elle (迷った牝の羊)」と「les quatre-vingt-dix-neuf (99)」
(この les は des を de と les に分けたうちの les)
に相当するわけです。
「les quatre-vingt-dix-neuf」の後ろには「brebis (牝の羊)」が省略されており、「les quatre-vingt-dix-neuf brebis」で「99 匹の牝の羊」となります。
この話のいわば主要な登場人物は brebis (牝の羊)であり、さきほども「brebis」の省略があったので、ここも「brebis」が省略されていても、まったく違和感はありません。
「qui ne se sont pas égarées」は関係詞節になります。
「ne... pas」は否定。「sont」は être の現在(3人称単数)、「égarées」は es を取ると「égaré」となって、これは第 1 群規則動詞 égarer の過去分詞なので、「être + 過去分詞」となり、再帰代名詞 se があるので複合過去です。
過去分詞に es がついているのは、être + p.p. の場合は主語に性数を一致するからで、主語の「les quatre-vingt-dix-neuf (brebis)」つまり「99 (匹の牝の羊)」に合わせて(brebis は女性名詞で複数なので) es がついています。
「s'égarer」はさきほど出てきたように「迷う」という意味です。
「qui ne se sont pas égarées」で「迷わなかった」となります。
【フランス語からの逐語訳】
そして、もしその人が、迷った牝の羊をやっとのことで探し出したとしたら、本当に私はあなたたちに言う、その人は、迷わなかった 99 匹の牝の羊からよりも、迷った牝の羊から、より多くの喜びを引き出す。
【新共同訳】
はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。
Ainsi on ne veut pas, chez votre Père qui est aux cieux, qu'un seul de ces petits se perde.
Ainsi on ne veut pas,
「Ainsi」は副詞で「このように」。ただ、この前までで喩えを出しているので、「それと同様に」という感じに取ることもできます。
「on」は漠然と「人は」。ne... pas は否定。
「veut」は vouloir (~したい、欲する)の現在(3人称単数)。
準助動詞として「~したい」という意味なら後ろに不定詞が必要になり、本動詞(他動詞)として「欲する」という意味なら後ろに直接目的が必要になりますが、ここでは、そのどちらも出てこないまま、コンマが打たれています。
ということは、まだこの文は完結しておらず、挿入句の後ろに文が続くはずだ、という勘を働らかせることができます(一般に、挿入句を文中に入れる場合は前後にコンマを打ちます)。
chez votre Père qui est aux cieux
このコンマに挟まれた部分が挿入句になっています。
「chez」は前置詞で「~においては」。
「votre」は所有形容詞で、ここでは「あなた達の」。「Père」は男性名詞で「父」。
「votre Père」で「あなた達の父」となりますが、大文字で強調されているのでわかるように、「神」のことです。
「qui」は関係代名詞。「qui」の前から「cieux」の後ろまでがカッコに入って(関係詞節になって)、先行詞の「Notre Père」に掛かります。
「est」は être の現在(3人称単数)。
「cieux」は男性名詞 ciel (空、天)の複数形。比喩的・宗教的な意味では複数形もよく使われますが、単数形でも複数形でも意味の違いはほとんど存在しません。
qu'un seul de ces petits se perde
挿入句を飛ばして前につながるので、「veut qu'」つまり vouloir... que というつながりです。
vouloir que... というのは「...であることを望む」という意味で、que の後ろは接続法になります。実際、「perde」は perdre の接続法現在(3人称単数)です。
「seul」は「唯一の」という意味の形容詞〔英語 only 〕ですが、ここでは後ろに名詞がないので、代名詞化しています。辞書で seul を引くと、最後に代名詞の項目があるはずです。例えば『ロワイヤル仏和中辞典』では次のような例が載っています。
un seul de ces candidats (これらの候補者のうちの 1 人)
この seul の後ろには candidat が省略されていると見ることもでき、くどい言い方をすれば「un seul candidat de ces candidats (これらの候補者のうちの 1 人の候補者)」となります。
上の文も、くどい言い方をすれば「un seul petit de ces petits」となります。
なお、seul (唯一の)は、もともと最上級に準じる言葉であり、petit (小さい)の最上級 moindre が「最も小さな」という意味に「~さえ」という意味が加わることがあるのと同様、ここも「一人の~さえ」というニュアンスが感じられます。
「petit」は形容詞で「小さい」〔英語 small 〕ですが、これも辞書で petit を引くと最後に載っているように、「子供」または「小さいもの」という代名詞として使われています。ここでは、「神」が比喩的に「父親」と表現されているので、それとの関係で「子供」と取ることもできます。ただ、その前に「ces (これらの)」という言葉がついているので、直接的には「牝の羊」を指して「これらの小さき者」という感じだと思います。
「perde」は perdre の接続法現在(3人称単数)。perdre は他動詞で「失う」や「見失う」という意味ですが、再帰代名詞「se」がついていて、これが直接目的(「自分を」)になっているので、逐語訳すると「自分を失う、自分を見失う」という意味です。ただ、これだと意味的には、わかったような、わからないような、もどかしい感じが残ります。このような場合は辞書で perdre を引き、再帰代名詞 se がついた項目で意味を調べてください。「道に迷う」という意味が載っているはずです。
その他、「破滅する」という意味も載っており、新共同訳では「滅びる」と訳されていますが、とりあえずここでは、前の文からの比喩の続きとして、「道に迷う」としておきます(どちらとも取れます)。
なお、こうしたことを望んでいないのは「神」にほかなりません。しかし、ここでは逐語訳すると、「天にいる神においては、(人は) ...を望んでいない」となって、少し回りくどい表現となっています。
これは、日本語の敬語表現で「~におかれましては...」というのと似ています。
ストレートに言うと、次のようになります。
Ainsi votre Père qui est aux cieux ne veut pas qu'un seul de ces petits se perde.
(このように、天にいるあなた達の父は、これらの小さき者達のうちの一人でも道に迷うことを望んでいない)
ただ、こうすると、「神」の気持ちを勝手に忖度して代弁するような形になり、差し出がましい・恐れ多い感じになるので、わざと「on (人は)」を使って主語を曖昧にしているのだと思われます。
日本語訳の聖書でも、このあたりの事情を汲んで、間接的な敬語表現になっています。
【フランス語からの逐語訳】
このように、天にいるあなた達の父におかれては、これらの小さき者達のうちの一人でも道に迷うことを、望んでいないのだ。
【新共同訳】
そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心(みこころ)ではない。
『ルカによる福音書』 第 15 章 4~7 節
Lequel d'entre vous, s'il a cent brebis et vient à en perdre une, n'abandonne les quatre-vingt-dix-neuf autres dans le désert pour s'en aller après celle qui est perdue, jusqu'à ce qu'il l'ait retrouvée ?
ここで文法的に問題になるのは、次の 2 点です。
2) 「n'」は「虚辞の ne 」なのか「ne の単独使用(ne だけで否定を表す)」なのか
(辞書で ne を引き、どの項目に該当するか)
Lequel d'entre vous
「Lequel」は、文末に疑問符があるのでわかるように、「疑問代名詞」で、ここでは「誰」という意味です。
「~のうちのどれ(誰)」と言う場合、「のうちの」を意味する前置詞は de を使います。つまり、普通は次のように表現します。
Lequel de + 複数名詞
ただし、複数名詞の代わりに人称代名詞がくる場合は、de の代わりに「d'entre」を使います。entre は前置詞であり、前置詞の後ろなので、人称代名詞は強勢形になります。
Lequel d'entre + 人称代名詞の強勢形
つまり、ここの「vous」も強勢形です。
d'entre は辞書で entre を引くと載っていますが、「~の中で」という意味です。
de も entre も前置詞なので、前置詞が 2 つ重なる形になり、違和感を覚えるかもしれませんが、決まりきった表現では、このように前置詞が 2 つ重なる場合も若干あります。
例えば、辞書で par を引くと「de par」という表現が載っており、「~の名において」と出ています。例えば「de par Dieu」で「神の名において」という意味です。フランスの映画俳優ドパルデューの綴りは Depardieu ですが、この苗字は de par Dieu からきています。
「vous」は目の前にいる弟子達を指しています。
「Lequel d'entre vous」で「あなたたちのうちの誰が」。これが疑問文の主語となっています。
s'il a cent brebis et vient à en perdre une
ここはコンマに挟まれた挿入句です。
「s' (もし)」の後ろの「il (彼は)」は何を指すかというと、直前の「Lequel d'entre vous (あなたたちのうちの誰が)」の「Lequel (誰が)」を指します。
疑問代名詞 lequel は男性/女性、単数/複数の 4 通りに変化し、そのうち「Lequel」は文法的には男性単数の形です。
人称代名詞の ils が必ずしも男たちだけとは限らず、男と女が混じっていても ils を使うのと同様、目の前にいる「vous (あなたたち)」が男たちだけでなく、たとえ女が混じっていたとしても、そのうちの誰か一人という場合は男性単数で代表させるので、「Lequel」という形になっているわけです。
「Lequel」は文法的には男性単数の形なので、これを受ける場合は、たとえ意味的に女性の可能性があったとしても、文法的には「il」を使って受けます。
ですから、この「il」は、「彼は」というよりも、(女性の可能性もあるので)「その人は」と訳すとよいでしょう。
「a」は他動詞 avoir (持っている)の現在(3人称単数)。
「cent」は数詞で「百」。「brebis」は女性名詞で「牝(めす)の羊」。
「vient」は venir (来る)の現在(3人称単数)。
さきほど出てきたように、「venir à + 不定詞」で「たまたま~する」となります。
「perdre」は他動詞で「失う、見失う」。
「en」は、フランス語で 3 種類ある en のうち、動詞の直前にあるので中性代名詞の en です。
たくさんある中性代名詞 en の用法のうち、ここはどれに該当するかというと、動詞の後ろに「une」だけが取り残されているので見当がつくように、「不特定の同類の名詞を指す en」のうちの「1. 後ろに un, une または数詞が残る場合」に該当します。
つまり、ここを中性代名詞 en を使わないで書き換えると次のようになります。
s'il a cent brebis et vient à perdre une brebis
「もしその人が百匹の牝の羊を持っており、たまたま一匹の牝の羊を失ったとしたら」という意味です。
百匹のうち、どの一匹でもかまわない、任意の一匹なので、英語の it ではなく one に相当する「不特定の同類の名詞を指す en」が使われています。
そして、2 回目に出てきた「brebis」が中性代名詞 en に置き換わると、前についていた不定冠詞 une は後ろに置き去りにされたまま、en だけが動詞の直前に出た形となるわけです。
n'abandonne les quatre-vingt-dix-neuf autres dans le désert
通常、否定文は ne ... pas (または pas の代わりとなる言葉)がセットで使われますが、ここでは pas (またはそれに代わる言葉)がないので、この「n'」は「虚辞の ne 」か「ne の単独使用(ne だけで否定を表す)」のどちらかということになります。
ここでは、従属節ではなく、接続法と一緒でもないので、「虚辞の ne」ではなさそうだと見当がつきます。実際、辞書で ne を引き、「虚辞の ne」の項目に目を通してみてください。ここに該当するような項目は見当たらないはずです。
今度は、辞書の ne の「単独使用」の項目に目を通してください。
すると、「疑問詞(qui など)を用いた疑問文で、反語的な意味になる場合」というような項目があるはずです。
例えば『ディコ仏和辞典』には、次のような例文が載っています。
Qui ne connaît cet événement ? (誰がその事件を知らないだろうか)
「connaît」は connaître (知っている)の現在(3人称単数)。「cet」は指示形容詞 ce (その)の男性第 2 形。「événement」は男性名詞で「事件」。「その事件のことを知らない人がいるだろうか。いや、誰でも知っているはずだ」という意味です。
ここも、「誰が...しないだろうか。いや、誰でも...するはずだ」という反語的な意味を込めているので、pas は使用せず、ne 単独で否定の意味になっているわけです。
「abandonne」は他動詞 abandonner (放棄する)の現在(3人称単数)。
「les quatre-vingt-dix-neuf autres」はさきほど出てきましたが、「九十九匹の他の牝の羊」。
「désert」は男性名詞で「砂漠」。ただし、砂ではなく岩が多い荒涼とした不毛の地も指すので、とりあえず「荒野」としておきます。「dans le désert」で「荒野に」となります。
pour s'en aller après celle qui est perdue
「s'en aller」はさきほど出てきたように、「出て行く、立ち去る」。
「après」は前置詞で「~の後で」。ここでは場所的に「~の後を追って」というような意味です。
「celle」は指示代名詞 celui の女性単数の形。もちろん brebis を指します。
「est」は être の現在(3人称単数)。「perdue」は他動詞 perdre (失う、見失う)の過去分詞 perdu に(主語の「celle」に合わせて)女性単数を示す e がついた形。
être + p.p. で受動態になっており、逐語訳だと「失われている、見失われている」ですが、もって回った言い方で、しっくりきません。
こういう場合は、辞書で過去分詞の形のまま引くと、たいてい形容詞(形容詞化したもの)として載っています。「perdu」で引くと、「迷った(道に迷った、迷子になった)」という訳が載っているはずです。
とすると、受動態ではなく、単に être の後ろに形容詞がきた形(形容詞の属詞的用法)ということになります。
(文法的には「受動態」と取ることもできますが、「être + 形容詞」と取ったほうがわかりやすい、ということです)。
ここを逐語訳すると、「迷った牝の羊の後を追って立ち去るために」となります。
ただし、この「pour (するために)」は、さきほどと同様、「結果」的に取ることもできます。
jusqu'à ce qu'il l'ait retrouvée
「jusque」は「~まで」という意味の前置詞ですが、多くは前置詞 à (目的地を意味する)とセットで jusqu'à という形でよく使われます。さらに、辞書の jusque の熟語欄を見ると、
jusqu'à ce que + 接続法 「...するまで」
という意味が載っているはずです。ちなみに、この que は関係代名詞ではなく接続詞で、ce は「こと」という意味です。ce と que 以下が同格になっており、「...ということまで」というのが元の意味です。
「jusqu'à ce que」全体で一語扱いの接続詞句となります。
「il」はさきほどの「s'il a cent brebis」の「il」と同様、「Lequel」を指します。
「ait」は avoir の接続法現在(3人称単数)。「retrouvée」は最後の e を除くと、他動詞 retrouver (再び見つける、探し出す)の過去分詞。
「ait retrouvé」で「avoir の接続法現在 + 過去分詞」なので「接続法過去」となります。
retrouvé についている e は「過去分詞の性数の一致」によるもので、直接目的(ここでは代名詞「l'」)が動詞よりも前にきているので、これに合わせて一致をしています。この「l'」は人称代名詞の直接目的(3人称単数女性)の「la」がエリジヨンによって「l'」になったもので、「celle qui est perdue (迷った牝の羊)」を指しているため、女性単数を示す e がついています。
なお、接続法には 4 つの時制があるのに、なぜここで「接続法過去」が使われているのか、「文法編」の接続法の時制の表を使って説明しておきます。
まず、ここは主節の動詞が「abandonne」(直説法現在)なので、「文法編」の表の「(1)接続法現在」か「(2)接続法過去」のどちらかが使われます。そして、意味的に「完了」を表すので、「接続法過去」が使われています。
なぜ意味的に「完了」かというと、見失っていた物を探し出したときには、普通は過去形を使って表現するからです。探していた物が出てきたら、普通は「見つけた!」と過去形で表現します。ここも、次の文がベースにあります。
Il l'a retrouvée. (彼はそれを探し出した)
「a retrouvé」で直説法複合過去です。これに女性単数を示す e がついています。
このように、意味的には、「探し出した(見つけた)」と(過去形を使って)言えるようになるまで探すので、「接続法過去」が使われているわけです。
ただし、日本語に訳すときは、この「完了」の感じまで訳の中に織り込むのは困難です(「探し出したまで」だと変な日本語になってしまいます)。
【フランス語からの逐語訳】
あなたたちのうちの誰が、もしその人が百匹の牝の羊を持っており、たまたま一匹を失ったとしたら、九十九匹の他の牝の羊を荒野に放棄して、その迷った牝の羊を探し出すまで、迷った牝の羊の後を追って立ち去らないだろうか?
【新共同訳】
あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
【フランシスコ会訳】
あなた方のうちに、百匹の羊を持っている者がいるとする。そのうちの一匹を見失ったなら、九十九匹を荒れ野に残して、見失った一匹を見つけ出すまで、跡をたどって行くのではないだろうか。
Et, quand il l'a retrouvée, il la met, tout joyeux, sur ses épaules et, de retour chez lui, il assemble amis et voisins et leur dit : “Réjouissez-vous avec moi, car je l'ai retrouvée, ma brebis qui était perdue !”
一般に、接続詞 et (そして)の直後にコンマがあったら、その次のコンマまでは挿入句になります。この文では 2 回出てきます。「quand il l'a retrouvée」と「de retour chez lui」が挿入句です。
Et, quand il l'a retrouvée, il la met, tout joyeux, sur ses épaules
「quand」は接続詞で「...な時(には)」。
「il l'a retrouvée」の「il」と「l'」は、すぐ前の「jusqu'à ce qu'il l'ait retrouvée」の「il」と「l'」と同じものを指します。
「a」は助動詞 avoir (持っている)の現在(3人称単数)。「retrouvée」は他動詞 retrouver (再び見つける、探し出す)の過去分詞 retrouvé に e がついた形。さきほどと同様、「過去分詞の性数の一致」によって e がついています。
次の「il la」も、直前の「il l'」と同じものを指します。
「met」は他動詞 mettre (置く)の現在(3人称単数)。
どこに「置く」かというと、2 つのコンマに挟まれた挿入句の「tout joyeux」の後ろの、「sur ses épaules (自分の両肩に)」置くわけです。
「sur」は前置詞で「~の上に」。「ses」は所有形容詞で「彼の」(ここでは「自分の」)。
「épaule」は女性名詞で「肩」。特に左右どちらか片方の肩でなければ、複数形で使うのが普通です。
「tout joyeux」の「joyeux」は形容詞で「うれしい、喜ばしい」。「tout」は、ここでは「すべての」という形容詞の意味ではなく、(辞書の一番最後のほうに載っているように)副詞で「まったく、とても」という意味。「joyeux」を強めているので、「très (とても)」と言い換えることもできます。
「tout」は強めているだけなので省くこともできます。それでは、「joyeux」はこの文の中でどのような役割を果たしているかというと、「形容詞の副詞的用法」として主語の状態を表しています。「tout joyeux」で「とてもうれしくなって」という感じです(「tout joyeux」の前に étant が省略された一種の分詞構文と取ることもできます)。
ここまでで、「そして、その人がその牝の羊を探し出した時には、その人はとても喜んで、その牝の羊を両肩に置き、」となります。
et, de retour chez lui, il assemble amis et voisins et leur dit
さきほど述べたように、接続詞 et (そして)の直後にコンマがあったら、その次のコンマまでは挿入句になります。「de retour chez lui」はカッコに入れることができます。
「retour」は男性名詞で「戻ること、帰還」(英語に入ると「return (リターン)」)。もともと動詞 retourner (他動詞で「裏返す」、自動詞で「戻る」などの意味)からできた言葉です。
「retour」の前の「de」は、文法的には説明が困難です。一般に、文法的に変だなと思ったら熟語ではないかと疑う必要があります。辞書で retour を引くと、熟語欄に次のどちらか(または両方)の熟語が記載されているはずです。
être de retour (戻っている)
de retour à (~に戻ると)
「être de retour (戻っている)」の場合、必ずしも動詞は être を使うとは限りません。状態を表す最も一般的な動詞が être なので、代表して être と書かれているだけです。
「de retour à (~に戻ると)」の場合、「~に」を表す前置詞は à を使うとは限りません。「~に」という意味の最も一般的な前置詞が à なので、代表して à と書かれているだけです。
「~の家に」という場合は、前置詞は à ではなく chez を使います。
「lui」は前置詞の後ろなので強勢形です。
「chez lui」で「彼の家に、自分の家に」。
「de retour chez lui」で「自分の家に戻ると」となります。
「assemble」は他動詞 assembler (集める)の現在(3人称単数)。
「amis」は ami (友人)、「voisins」は voisin (隣人)の複数形。「列挙・対比」されているために無冠詞になっています。
「leur」は「彼らに」。
「dit」は dire (言う)の現在(3人称単数)。
Réjouissez-vous avec moi, car je l'ai retrouvée, ma brebis qui était perdue !
動詞で始まっていて文末に感嘆符(!)があるので、命令文です。
命令文で動詞の直後に「-vous」がついていたら、この「-vous」は再帰代名詞です。
「Réjouissez」は第 2 群規則動詞の他動詞 réjouir (喜ばせる)の直説法現在(2人称複数)とまったく同じ形ですが、主語がないので命令形です。
réjouir (喜ばせる)に再帰代名詞 se (自分)がつくと、 se réjouir で「自分を喜ばせる」→「喜ぶ」という自動詞的な意味に変化します。この再帰代名詞 se が「-vous」に変わっているわけです。
「Réjouissez-vous」で「喜びなさい、喜んでください」となります。
「avec」は前置詞で「~と一緒に」。「moi」は前置詞の後ろなので強勢形。
「car」というのは軽い理由を表す接続詞で、「というのも ...なのだから」、「だって ...なんだから」という意味です。特徴は、ほとんどの場合、「car」の直前にコンマを打ち、「car」の前まででいったん文が完結することです。そして、付け足すようにして理由が述べられます(辞書の例文を見てみてください)。
ここも、「Réjouissez-vous avec moi (私と一緒に喜んでください)」だけで文が完結しており、「car」以下でその理由が述べられています。
「je l'ai retrouvée」は、文の要素に分けると、「je」が主語(S)、「ai retrouvée」が動詞(V)、「l'」が直接目的(OD)で、第 3 文型です。
動詞の部分は、「ai」が助動詞 avoir の現在(1人称単数)、「retrouvé」が retrouver (再び見つける、探し出す)の過去分詞なので、avoir + p.p. で複合過去になっていますが、過去分詞 retrouvé には、女性単数を示す e がついています。これは、「過去分詞の性数の一致」によるもので、avoir + p.p. で直接目的(OD)が動詞(V)よりも前にくる場合は、OD に過去分詞の性数を一致するからです。
さて、この「l'」は何を指すのでしょうか。女性単数の何かです。
内容的には、この文の最初に出てきた「quand il l'a retrouvée」の「l'」と同様、「迷った牝の羊」を指すことは、すぐに理解できると思いますが、ここは引用符( “ ” )の中に入った、実際に口に出して言われる(と想定される)言葉なので、これだけで独立した文となっており、この中だけで考える必要があります。
実は、この「l'」は、文法的にはコンマの後ろの「ma brebis qui était perdue」を指しています。
これは「遊離構文」であり、文の一要素が「文末に遊離」しています。
「car」の後ろを、遊離構文を使わない普通の語順に直すと、次のようになります。
j'ai retrouvé ma brebis qui était perdue
(私は、迷っていた私の牝の羊を探し出した)
文の要素に分けると、「j'」が主語(S)、「ai retrouvé」が動詞(V)、「ma brebis qui était perdue」が直接目的(OD)で、第 3 文型になっています。
遊離構文を使った原文では、直接目的(OD)が動詞(V)よりも前にきているので、過去分詞の性数を一致して e がついていましたが、このように書き換えると、直接目的(OD)が動詞(V)よりも後ろにくるため、e は取れますので、注意してください。
「qui」は関係代名詞。先行詞は「ma brebis」です。
「était」は être の直説法半過去(3人称単数)。「~していた」という過去の状態を表すので半過去が使われています。
「perdu」はさきほど見たように、「迷った」という意味の形容詞です。属詞的用法なので主語に一致しています。
「je l'ai retrouvée, ma brebis qui était perdue」の部分を、遊離構文らしく訳すと、「私はそれを探し出した。迷っていた私の牝の羊を」となります。
【フランス語からの逐語訳】
そして、その人がその牝の羊を探し出した時には、その人はとても喜んで、その牝の羊を両肩に置き、自分の家に戻ると友人と隣人を集め、彼らにに言うのだ、「私と一緒に喜んでください、私は探し出したのだから、迷っていた私の牝の羊を!」。
【新共同訳】
そして、見つけたら、喜んでその羊を担(かつ)いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。
C'est ainsi, je vous le dis, qu'il y aura plus de joie dans le ciel pour un seul pécheur qui se repent que pour quatre-vingt-dix-neuf justes, qui n'ont pas besoin de repentir.
C'est ainsi, je vous le dis, qu’
「je vous le dis」(さきほど出てきたように「私はあなたたちに言う」という意味)は挿入句。これを除くと、
C'est ainsi que...
となります。「ainsi」は「そのように、このように」という意味の副詞。辞書で ainsi を引くと、熟語欄にこの表現が出ています。
文法的には、これは「C'est ~ que...」を使った強調構文です。逐語訳すると、
「...なのは、そのようにしてなのだ」
「そのようにしてこそ、...なのだ」
というのが元の意味ですが、辞書には「このように」、「そのようなわけで」などと記載されています。
つまり、C'est ainsi que... というのは、ほとんど Ainsi 一語と同じような意味になります。
il y aura plus de joie dans le ciel pour un seul pécheur qui se repent que pour quatre-vingt-dix-neuf justes
「aura」は avoir の単純未来(3人称単数)。つまり、「il y aura」は il y a (~がある)の単純未来の形です。
さきほどと同様、「plus de 名詞 que ~」となっているので、名詞の比較級です。「joie」は「喜び」。
前述のように、比較表現では同じような形のものが比較されます。ここでは、「pour un seul pécheur qui se repent」と「pour quatre-vingt-dix-neuf justes」(正確には、これにかかっている「qui n'ont pas besoin de repentir」も含まれますが、長くなるのでとりあえず除外しておきます)が比較されています。
前者を A、後者を B としてみます。
「dans le ciel (天においては)」はカッコに入れるとわかりやすくなります。
全体としては、「B についてよりも A についてのほうが、天においてはより多くの喜びが存在するだろう」となります。
前置詞「pour」は「~のために」が一番大きな意味ですが、「~について」、「~に対して」といった意味も重要です。
A の部分から順に単語を見ておくと、「seul」は形容詞で「唯一の、たった一つの、たった一人の」。
「pécheur」は男性名詞で「罪人(つみびと)」。ちなみに、アクサンが異なる pêcheur (釣り人)はまったく無関係な単語です(発音は同じ)。
この「un seul pécheur (たった一人の罪人)」が先行詞になり、これに関係詞節「qui se repent」がかかっています。
「repent」は repentir (悔い改める)の現在(3人称単数)。これは partir と同じ活用をする不規則動詞です。
repentir は再帰代名詞 se と一緒にしか使われない動詞であり、動詞と再帰代名詞とに分けて考えることはできません。つまり「熟語的」なタイプなので、se repentir で「悔い改める」という意味だと覚えるしかありません。
「un seul pécheur qui se repent」で「悔い改めるたった一人の罪人(つみびと)」となります。
B の部分を見ておくと、「quatre-vingt-dix-neuf」は数詞で「99」。
「juste」はもともと形容詞で「正しい、正義の」ですが、人の性格などを表す形容詞に冠詞がつくと、「~な人」という意味の名詞になるという原則があります(ここは冠詞はありませんが、冠詞の代わりに数詞がついています)。辞書で juste を引くと、一番最後に「正しい人」という意味が載っているはずです。
ここまでで、「99 人の正しい人についてよりも、悔い改めるたった一人の罪人(つみびと)についてのほうが、天においてはより多くの喜びが存在するだろう」となります。
qui n'ont pas besoin de repentir
この部分は関係詞節となって、直前の先行詞である「quatre-vingt-dix-neuf justes」にかかっています。
先行詞と関係代名詞の間にコンマがありますが、もともとフランス語ではコンマの有無は厳密なものではないので、気にする必要はありません。
どちらかというと、関係代名詞の前にコンマがあったら、その前まででいったん文が完結して、それを補足するような感じで後ろに続くことが多いと思いますが、絶対にそうだとは言い切れません。特に日本語に訳す場合は、コンマの有無に関係なく、前から訳しても後ろから訳しても構いません。
「ont」は avoir (持っている)の現在(3人称複数)。
「besoin」は男性名詞で「欲求、必要性」などの意味ですが、ここは熟語なので無冠詞になっています。
「avoir besoin de」で「~を必要としている」という意味の基本的な熟語です。この de の後ろには、名詞または動詞の不定形がきます。
その後ろの「repentir」は、さきほど出てきた「悔い改める」という動詞だと思ってしまうかもしれませんが、この動詞は必ず再帰代名詞とセットで使われるので、再帰代名詞がないことの説明がつきません。
辞書をよく見ると、「repentir」には名詞(男性名詞)で「改悛(かいしゅん)の情、悔い改め」などの意味もあります。文法的にはこの名詞だと取る必要があります。
無冠詞なので、名詞だとは気づきにくくなっているだけです。
なぜ無冠詞かというと、もともと「改悛の情、悔い改め」というのは「感情」を表す名詞なので、部分冠詞がついていたと考えられます。しかし、前置詞 de の後ろにきたので、部分冠詞が省略されたと考えられます。
【フランス語からの逐語訳】
私はあなたたちに言うが、このように、悔い改めを必要としていない 99 人の正しい人についてよりも、悔い改めるたった一人の罪人(つみびと)についてのほうが、天においてはより多くの喜びが存在するだろう。
【新共同訳】
言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人(つみびと)については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。
〔蛇足〕
正しい道を踏み外した人のほうが反省して真剣に神を求めるがゆえに、神は正しい道を歩み続ける九十九人の人よりも、罪を犯した一人のことのほうを気にかける、という意味ではないかと思いますが、素人考えなので少し外しているかもしれません。
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