「北鎌フランス語講座 - 文法編」と連動し、短い例文を使って徹底的に文法を説明し、構文把握力・読解力の向上を目指します。

フランス語訳聖書 裏切りの予告

裏切りの予告      ⇒ 「聖書」のトップに戻る

『ヨハネによる福音書』第 13 章 21~30 節(La Bible de Jérusalem 版)。
L'annonce de la trahison de Judas (裏切りの予告)の場面です。

 Ayant dit cela, Jésus fut troublé en son esprit et il attesta :
 « En vérité, en vérité, je vous le dis, l'un de vous me livrera. »
 Les disciples se regardaient les uns les autres, ne sachant de qui il parlait. Un de ses disciples était installé tout contre Jésus : celui qu'aimait Jésus.  Simon-Pierre lui fait signe et lui dit : « Demande quel est celui dont il parle. »  Celui-ci, se penchant alors vers la poitrine de Jésus, lui dit : « Seigneur, qui est-ce ? »  Jésus répond : « C'est celui à qui je donnerai la bouchée que je vais tremper.» Trempant alors la bouchée, il la prend et la donne à Judas, fils de Simon Iscariote. Après la bouchée, alors Satan entra en lui. Jésus lui dit donc : « Ce que tu fais, fais-le vite. » Mais cela, aucun parmi les convives ne comprit pourquoi il le lui disait. Comme Judas tenait la bourse, certains pensaient que Jésus voulait lui dire : « Achète ce dont nous avons besoin pour la fête », ou qu'il donnât quelque chose aux pauvres.  Aussitôt la bouchée prise, il sortit ; c'était la nuit.

Ayant dit cela, Jésus fut troublé en son esprit et il attesta :

「Ayant」は助動詞 avoir の現在分詞
現在分詞で始まり、主節との区切れ目にコンマがあるので、分詞構文だと見当がつきます。
「dit」は他動詞 dire (言う)の過去分詞
Ayant + p.p. で「完了」(...し終わって)の意味になります
「cela」は「以上のこと(これまで述べてきたこと)」を指します。

「fut」は être の単純過去(3人称単数)。
「troublé」は他動詞 troubler (掻き乱す、動揺させる)の過去分詞。être + p.p. で受動態です。逐語訳すると「掻き乱された」となります。

「en」は基本的には場所を表す前置詞で、「~で、~の中で」などの意味ですが、ここでは少し抽象的に「~において」という感じです。「son」は「彼の」つまりイエスの。「esprit」は男性名詞で「精神、心」。

「attesta」は他動詞 attester (証言する)の単純過去(3人称単数)。第 1 群規則動詞なので、単純過去は a 型の活用をします
「証言する」という部分は、
  文語訳では「証(あかし)をなして言ひ給(たま)ふ」
  新共同訳では「断言された」
  フランシスコ会訳では「厳(おごそ)かに仰せになった」
と訳されています。
「attesta」の直接目的は、次のギユメの中全体です。

【フランス語からの逐語訳】
このことを言い終えると、イエスは心において掻き乱された。そして次のように証言した。

« En vérité, en vérité, je vous le dis, l'un de vous me livrera. »

 En vérité, en vérité, je vous le dis,

これは聖書(福音書)でよく出てくる表現で、「ペトロの否認」のページでも出てきましたので、詳しい文法の説明はそちらを参照してください。ただし、「ペトロの否認」のページではペトロ一人に話しているので「te (あなたに)」となっていますが、ここでは複数の弟子たちに向かって話しているので「vous (あなたたちに)」となっています。この箇所は
  文語訳では「まことに誠に汝らに告ぐ」
  新共同訳では「はっきり言っておく」、
  フランシスコ会訳では「よくよくあなた方に言っておく」
と訳されています。

 l'un de vous me livrera.

仏和辞典で un を引くと、最後のほうに「不定代名詞」の項目があり、前置詞 de と一緒に使って、「(l’)un de + 複数名詞」で「~の中の一つ」という意味が載っています。 l’ は定冠詞で、つける場合とつけない場合があり、意味は変わりません。
「l'un de vous」で「あなたたちのうちの一人」となります。

「livrera」は他動詞 livrerer (委ねる、引き渡す)の単純未来(3人称単数)。
ここでは、例えば
  『ロワイヤル仏和中辞典』に「(秘密などを)漏らす、密告する、裏切る」
  『ディコ仏和辞典』に「(警察などに)引き渡す、(裏切って)売り渡す」
と載っている意味に該当します。

この箇所は
  文語訳では「汝らの中の一人われを売らん」
  新共同訳では「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」
と訳されています。

国語辞典『大辞泉』によると、日本語の「売る」という言葉は「味方を裏切って敵の利益のために働く」ことを意味し、例として「仲間を売る」「国を売る」と載っているので、必ずしも金銭の授受を伴うわけではありませんが、マタイ第26章15節によるとユダは裏切りの見返りとして銀貨三十枚を受け取ったと記載されているので、ユダはイエスを文字通り「売る」ことになります。

なお、ギユメの中の文が完結していて、ギユメ終了時にピリオドを打つ場合は、
   «  .»
というように、先にピリオドを打ちます

【フランス語からの逐語訳】
本当に本当に私はあなたたちに言う、あなたたちのうちの一人が私を裏切る(売り渡す)だろう。

Les disciples se regardaient les uns les autres, ne sachant de qui il parlait.

この文は真ん中にコンマがあって、コンマの後ろは(否定の ne を除けば)「sachant」という現在分詞で始まっているので、慣れてくると、ぱっと見ただけでコンマ以降が分詞構文 としてコンマの前(主節)にかかっていることがわかります。

 Les disciples se regardaient les uns les autres

「disciple」は男性名詞で「弟子」。
「se」は再帰代名詞で、ここは主語が複数なので相互的な「互いに(互いを)~しあう」という意味です。
「regardaient」は他動詞 regarder (見つめる)の直説法半過去(3人称複数)。
半過去は過去の情景描写を表し、「~していた」と訳すとぴったりきます。
「les uns les autres」の元の形は l'un l'autre (互いに)です。再帰代名詞の se だけでも「お互い」という相互的な意味がありますが、再帰代名詞には他にも意味があるので、「お互い」という意味であることを明確にするために「l'un l'autre」を補っています。ここで 「les uns les autres」という男性複数の形になっているのは、一度に何人かずつ、まとまって互いにキョロキョロ見つめあっているからです。
コンマの前まででを逐語訳すると、「弟子たちは互いに見つめ合っていた」となります。

 ne sachant de qui il parlait

「sachant」は他動詞 savoir (知っている)の現在分詞。「知っている」の他に「わかる」と訳すとぴったりくる場合もあり、特に否定文で後ろに間接疑問がくると、「...かわからない」となります。
その前の「ne」は ne だけで否定を表す「ne の単独使用」で、savoir + 間接疑問(...かわからない)の場合にはこの「ne の単独使用」が使われます。

その後ろの「de qui」の qui は、「文法編」の疑問文のページの表で言うと、「5b 誰」に該当します。前置詞(de)の後ろなので、qui は強勢形です。

「parlait」は parler (話す)の直説法半過去(3人称単数)。この動詞は、前置詞 de と一緒に使う間接他動詞で、

  parler de ~ (~について話をする)

という使い方をします。この前置詞 de は「~について」という意味〔英語の of〕で、ここでは qui の前に出て、「de qui」で「誰について」となります。

「parlait」が直説法半過去になっているのは、時制の一致(過去における現在)による結果です。
直接疑問に直すと、次のようになります。

  De qui parle-t-il ? (彼は誰について話をしているのですか?)

「parle」は parler の直説法現在(3人称単数)。その後ろの t は、倒置にしたときに母音が続いて発音しにくくなるのを避けるためのもので、意味はありません

「ne sachant de qui il parlait」全体が分詞構文となって前にかかっています。
分詞構文の意味は、付帯状況と取れば「彼が誰について話しているのかわからずに(わからない状態で)」、理由と取れば「彼が誰について話しているのかわからなかったので」となります。

【フランス語からの逐語訳】
弟子たちは、彼が誰について話しているのかわからず、互いに見つめ合っていた。
【新共同訳】
弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。
【フランシスコ会訳】
弟子たちは、イエスが誰のことを言われたのか見当がつかず、互いに顔を見合わせていた。

Un de ses disciples était installé tout contre Jésus : celui qu'aimait Jésus.

 Un de ses disciples était installé tout contre Jésus

「disciple」は男性名詞で「弟子」。
「Un de ses disciples」で「彼の弟子たちの一人」となります〔英語 one of his disciples〕。この un は不定冠詞ではなく、さきほど出てきた l'un de vous と同様、不定代名詞 です。
「était」は être の直説法半過去(3人称単数)。半過去は過去の情景描写で、「~していた」と訳します。

「installé」は他動詞 installer の過去分詞です。
installer は英語の install と同様、「(物を)設置する」、「(ソフトウェアを)インストールする」という意味もありますが、ここでは「(人に関して)身を落ち着かせる、座らせる、寝かせる」という意味です。どの辞書にも大体、「(病人・負傷者などを)寝かせる」などの例文が載っていますが、これは健康な人なら、他人が手を貸して「寝かせる」必要はないからです。
この「身を落ち着かせる、座らせる、寝かせる」という意味の場合、通常は(病人・負傷者でなければ)再帰代名詞と一緒に使用されることが多く、再帰代名詞には他動詞を自動詞的な意味に変換する働きがあるため、s'installer で「自分を座らせる」→「座る」、「自分の身を落ち着かせる」→「身を落ち着ける」などの意味になります。

ただし、ここでは再帰代名詞は使わておらず、être とセットで使われています。一見すると受動態のように見えますが、受動態だとすると逐語訳では「座らせられていた」「身を落ち着かせられていた」となって、意味的に少し苦しくなります。
むしろ過去分詞が形容詞化していると取り、「installé」は「身を落ち着けている(座っている、寝ている)」などの状態を表す形容詞だとしたほうが自然です。
必ずしもすべての辞書で形容詞の「installé」の項目にこの意味が載っているわけではありませんが、再帰代名詞と組み合わせた場合の意味の変化から類推できるかと思います(直前の名詞にかかる過去分詞が「~している」という意味になるケースも参照)。

ちなみに、フランシスコ会訳の訳注に「宴会では、身を横たえながら (...) 食事をするのが当時の習慣であった」と書かれているように、イエスと弟子たちは寝ながら食事をしていたようです。
以上から、フランス語の「était installé」は「横になっていた」と訳すことができるでしょう。

「tout」は形容詞で「すべての~、あらゆる~、~全体」代名詞で「すべてのもの、すべての人」などの意味がありますが、ここでは副詞です。辞書の最後のほうに載っており、「まったく、すっかり」などの強意・強調の意味です。

「contre」は英語の against に相当する前置詞で、「反対」の意味もありますが、「隣接」の意味もあります。ここでは「tout contre Jésus」で「イエスのすぐ隣に」「イエスにぴったりとくっついて」という意味です(tout は「すぐ」や「ぴったりと」に相当します)。

 celui qu'aimait Jésus

この前のコロンは、同格・言い換え・説明を追加する場合によく用いられ、「つまり」「すなわち」と訳すとぴったりくる場合が多いと思いますが、特に訳さないほうが自然な場合もあります
「Un de ses disciples」と「celui qu'aimait Jésus」が同格(つまりイコール関係)になっています。

「celui」は指示代名詞で、ここでは男性単数の形になっています。前に出てきた男性名詞「disciples」は複数形ですが、内容的には「Un de ses disciples (彼の弟子たちの一人)」を意味するので、単数形になります(celui の場合、単数・複数は必ずしも前に出てきた名詞に合わせる必要はありません)。

「aimait」は他動詞 aimer (愛する)の直説法半過去(3人称単数)。
「qu'」は後ろの単語が母音で始まるので e が ’ に変わっているだけで、que と同じです。この que は接続詞と関係代名詞のどちらかというと、que の後ろだけで文が完結していない(OD が欠けている)ので、関係代名詞の queです。
「qu'」の後ろを文の要素に分けると、「aimait (愛していた)」が動詞(V)で、「Jésus」が主語(S)です(これを主語と取らないと、ほかに主語になりうるものがなく、文が成り立ちません)。つまり、「qu'」の後ろは倒置になっています。もともと、関係代名詞の後ろでは、潜在的に倒置になりやすい傾向があり、これに加えて体言止めの効果を狙ったために倒置になったと考えられます。もちろん倒置にせずに、

  celui que Jésus aimait

と言うこともできます。

【フランス語からの逐語訳】
彼の弟子たちの一人がイエスにぴったりとくっついて横になっていた。イエスが愛していた弟子である。
【新共同訳】
イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。
【フランシスコ会訳】
弟子の一人が、イエスの胸に寄り添って食事の席に着いていた。その弟子をイエスは愛しておられた。

フランシスコ会訳の訳注:
「食事の席に着いていた」は、直訳では「横になっていた」。宴会では、身を横たえながら左肘(ひじ)をついて食事をするのが当時の習慣であった。「弟子の一人」はイエスの右側に横になり、頭をイエスの胸に近づけていたのであろう。

Simon-Pierre lui fait signe et lui dit : « Demande quel est celui dont il parle. »

 Simon-Pierre lui fait signe

「Simon-Pierre」はシモン・ペトロ。「ペトロの否認」で出てくるペトロです。
「fait」は他動詞 faire (する)の現在(3人称単数)。「signe」は男性名詞で「記号、合図」。これが無冠詞なのは熟語だからです。辞書で signe を引くと、熟語欄に

  faire signe à qn de inf. (~に~するよう合図する)

などと載っています。qn は「人」という意味で、inf. は「不定詞」。
この文では、前置詞 de がないのでわかるように、この熟語の「de inf.」に相当する部分は出てきていません。つまり、単に

  faire signe à qn (~に合図する)

となっています。「à」はどうなっているかというと、「前置詞 à + 人」は、代名詞に置き換わると間接目的一語になり、 à は消えるという規則により、間接目的の「lui (彼に)」一語になって、à は消えています。
「彼」とは、前の文で出てきた(イエスに寄り添っていた)弟子のことです。

 et lui dit :

「et (そして)」の後ろの「dit」は他動詞 dire (言う)の現在(3人称単数)。dire は単数形は単純過去とまったく同じ形になりますが、ここでは et の前の「fait」が現在形なので、「dit」も現在形と取るのが自然です。

このページで取り上げた文の時制を振り返ってみると、最初の文の「fut」と「attesta」は単純過去、そして次の文の「regardaient」とその次の文の「était」は半過去でした。
それが、この文で現在になっているのは、いわゆる歴史的現在です。歴史的現在には読者の注意を惹きつける効果があるので、あたかもシモン・ペトロは、イエスのすぐ近くにいたその弟子に合図を送ると同時に、現在形で語られたその動作によって、読者の関心をも惹き寄せているかのようです。

なお、dire は厳密にいうと第 5 文型をとる直接他動詞(2)のタイプの動詞で、

  dire A à B (A を B に言う)

という使い方をします。この「à B」の部分が、さきほどと同様に「lui」一語になり、A の部分がコロンの後ろのギユメの中全体になっています。

 Demande quel est celui dont il parle.

「Demande」は他動詞 demander (尋ねる)の tu に対する命令形。第 1 群規則動詞なので、現在形の tu の活用の末尾の s を取った形と同じです。他動詞 demander の直接目的は「quel est celui dont il parle」全体です。
「quel」は疑問形容詞。ここでは、その属詞的用法の間接疑問です。
「celui」はさきほどの「celui qu'aimait Jésus」の celui と同様、複数いる弟子のうちの一人を指します。
関係代名詞「dont」は、「文法編」の分類の「de を伴う動詞に掛かる場合」に該当し、「parle」の不定詞 parler (話をする)が

  parler de ~ (~について話をする、~のことを話題にする)

という使い方をする、de を伴う間接他動詞であり、この「~」の部分が先行詞になったために「dont」を使っているわけです(英語の of which に相当)。
「il」はイエスを指します。
「parle」は parler (話をする)の現在(3人称単数)。

【フランス語からの逐語訳】
シモン・ペトロは彼に合図し、彼に言う、「彼〔イエス〕が話題にしているその弟子は誰なのかを尋ねなよ」。
【新共同訳】
シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。

Celui-ci, se penchant alors vers la poitrine de Jésus, lui dit :
« Seigneur, qui est-ce ? »

この文はコンマが 2 つあるので、その間は挿入句だと予測がつきます。
そして、この部分は(再帰代名詞を除くと)「penchant」という現在分詞で始まっているので、分詞構文であることがわかります。

まず、挿入句(分詞構文)を省いて見てみましょう。挿入句を抜かすと、当然、挿入句の前後についているコンマも取れて、次のようになります。

  Celui-ci lui dit : « Seigneur, qui est-ce ? »

「Celui-ci」は指示代名詞 celui の男性単数の形に「-ci」がついた形です。
直前の文の中に代名詞が指しうるものが複数存在する場合は、普通は
  人称代名詞 il を使うと、直前の文の主語のものを指します。
  指示代名詞 celui-ci を使うと、直前の文の中の主語以外のものを指します。

もし Celui-ci ではなく Il を使うと、ここでは直前の文の主語である「Simon-Pierre」を指すことになります。
しかし、ここでは Celui-ci を使っているので、主語以外のもの、つまり「lui」(イエスにぴったりとくっついて横になっていた、イエスが愛していた弟子)を指します。

その次の「lui (彼に)」は意味的にイエスを指します。

「dit」は他動詞 dire (言う)の現在(3人称単数)。直前の文でも出てきたように、dire は単数形は単純過去とまったく同じ形になりますが、ここでは直前の文でも次の文でも現在形が使われているので、ここの「dit」も現在形と取るのが自然です(歴史的現在)。

「Seigneur」は「(封建時代の)領主」などの意味もありますが、キリスト教関係では「主(しゅ)」。ここではイエスを指します。

「qui est-ce ? 」は「それは誰ですか?」という意味で、日常会話でもよく使われますが、これは「文法編」の「疑問文」のページの表でいうと、どれに該当するでしょうか?

答えは、 3a の「誰  qui + 倒置」に該当します。つまり、

  C'est ~. (それは~です)

という第 2 文型属詞にあたる「~」の部分が不明である(誰だかわからない)ために、疑問代名詞の「qui (誰)」になって文頭に出て、後ろが倒置になっているわけです。

次に、挿入句の中(分詞構文)を見てみます。

 se penchant alors vers la poitrine de Jésus

「penchant」は pencher (傾く・傾ける)の現在分詞。ここでは他動詞で、

  pencher A vers B (A を B のほうに傾ける)

という使い方がベースにあります(「vers」は「~のほうに」という意味の前置詞)。この A が再帰代名詞 se に変わって

  se pencher vers ~ (自分を~のほうに傾ける → ~のほうに傾く)

となったと理解することができます。つまり再帰代名詞 se は他動詞を自動詞的な意味に変換する働きをしています。
ただし、この理屈を踏まえた上で、わざと「(自分の)身を傾ける」などと訳すとうまくいきます。
分詞構文の意味は「単純接続」に近く、「身を傾けて、」となります。

「alors」は副詞で「その時、そこで」〔英語 then〕。
このように、前の文とのつながりを示す副詞が文頭ではなく文中に埋め込まれるケースがよく見受けられますが、もちろん文頭に出して次のように言うことも可能です。

  alors, se penchant vers la poitrine de Jésus

訳すときは、文中に埋め込まれていても、文頭に持ってきたほうが日本語では自然になる場合が多いでしょう。

「poitrine」は女性名詞で「胸」。
「se penchant alors vers la poitrine de Jésus」で「そこで、イエスの胸のほうに身を傾けて、」となります。

【フランス語からの逐語訳】
そこで、その弟子はイエスの胸のほうに身を傾けて、彼に言う、「主よ、それは誰のことですか」。
【フランシスコ会訳】
その弟子は、イエスの胸元に寄りかかったまま尋ねた、「主よ、誰のことですか」。

Jésus répond : « C'est celui à qui je donnerai la bouchée que je vais tremper.» 

「répond」は他動詞 répondre (答える)の現在(3人称単数)。直接目的語はギユメの中全体です。
ギユメの中を見ると、celui は関係代名詞の先行詞になっているので、「...な人」の意味になります。
その後ろの「à qui」は前置詞つき関係代名詞の「前置詞 + qui」です。
関係代名詞を 2 つの文に分ける方法については、「文法編」の「前置詞(句) + qui」の項目でも詳しく説明しており、煩雑になるので結論だけをいうと、次の 2 つの文に分けられます。

  C'est celui.
  Je donnerai la bouchée que je vais tremper à celui.

ただし、「celui」は基本的には先行詞になる場合に「~な人」という意味になるので、2 つの文に分けた場合には「celui」のままにしておくと変なので、意味的に同じ disciple (弟子)という言葉を使って言うと、次のようになります。

  C'est un disciple. (それは一人の弟子だ)
  Je donnerai la bouchée que je vais tremper à ce disciple.
    (私は私がこれから浸す一口を、その弟子に与えよう)

この 2 つ目の文をベースに見ていきましょう。
「donnerai」は他動詞 donner (与える)の単純未来(1人称単数)。donner は基本的に前置詞 à と一緒に使用する、第 5 文型をとる直接他動詞(2)のタイプの動詞で、

  donner A à B (A を B に与える)

という使い方をします。A に相当するのが「la bouchée que je vais tremper (私がこれから浸す一口)」、B に相当するのが「ce disciple (その弟子)」です。

このように、2 つの文に分けたとき、先行詞(ここでは celui に相当する「ce disciple」)の前に de 以外の前置詞(ここでは à)がついており、なおかつ先行詞が「人」なので、関係代名詞の「前置詞 + qui」を使っているわけです。

言葉を換えて言うと、「à B (B に)」の部分が、2 つの文に分けた場合は「à ce disciple (その弟子に)」となり、元の文では「à qui (その人に)」になっているわけです。

もっと言えば、英語の to whom と同じだと言えば一言で済むかもしれません。

「bouchée」は女性名詞で「一口」。もともと女性名詞 bouche (口)からできた単語です。ここでは、「一口で食べられる食べ物」「一口分のパン」を意味します。
「que」は関係代名詞。
「que je vais tremper (私がこれから浸す)」がカッコに入り(つまり関係詞節になり)、先行詞が「la bouchée (一口)」です。
「vais」は aller (行く)の現在(1人称単数)。ただし、ここでは後ろに不定詞が来ているので「近接未来」です(~しようとしている、これから~する)。
「tremper」は他動詞で「浸す」。その直接目的は、先行詞になって前に出た「la bouchée」です。先行詞が関係詞節内の動詞の意味上の直接目的なので que を使用しています。

【フランス語からの逐語訳】
イエスは答える、「それは、私がこれから浸す一口を(その人に対して)与える人だ」
【フランシスコ会訳】
イエスはお答えになった、「わたしがパンを一切れ浸して与える者が、それである」
【新共同訳】
イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。
【文語訳】
イエス答え給う「わが一撮(ひとつまみ)の食物(くいもの)を浸して与うる者は夫(それ)なり」

Trempant alors la bouchée, il la prend et la donne à Judas, fils de Simon Iscariote.

文頭の「Trempant」が ant という現在分詞の語尾で終わっており、最初のコンマのあとは il という主語の形で始まっているので、「Trempant alors la bouchée」は分詞構文になっていることがわかります(普通は分詞構文の前後にはコンマがつきます)。
「Trempant」は他動詞 tremper (浸す)の現在分詞。

「alors (そこで)」は副詞。さきほどと同様、前の文を受ける言葉ですが、この位置にきています。ここも、

  Alors, trempant la bouchée,

と書き換えることも可能です。

「bouchée」はさきほど出てきたように、女性名詞で「一口」ないし「一口分のパン」を意味します。
コンマの前までを逐語訳すると、「そこで一口(一口分のパン)を浸して、」となります。

主語の「il」は、前の文の主語「Jésus (イエス)」を指します。
「prend」は他動詞 prendre (取る、手に取る)の現在(3人称単数)。
その前の「la」と、「et (そして)」の後ろの「la」は、どちらも人称代名詞の直接目的で「la bouchée (一口、一口分のパン)」を指します。
「donne」は他動詞 donner (与える)の現在(3人称単数)。
donner A à B (A を B に与える)の A に相当するのが「la」、B に相当するのが「Judas (ユダ)」です(フランス語では「ジュダ」と発音)。

「fils」は男性名詞で「息子」?
「fils」が無冠詞なのは、直前の言葉(Judas)と同格だからです。同格の場合、典型的にはこのようにコンマを打ち、コンマの後ろの名詞が無冠詞になります。正確には、「Judas」と「fils de Simon Iscariote」が同格です。
「Simon Iscariote」は「イスカリオテのシモン」(フランス語では「シモン イスカリオットゥ」と発音します)。

なお、ここまで合計 4 つの文が歴史的現在になっています。

【フランス語からの逐語訳】
そこで一口(一口分のパン)を浸して、彼はそれを手に取り、イスカリオテのシモンの息子、ユダに与える。
【フランシスコ会訳】
それから、パンを一切れ浸して手に取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。
【新共同訳】
それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。
【文語訳】
斯(かく)て一撮(ひとつまみ)の食物(くいもの)を浸してシモンの子イスカリオテのユダに与えたまう。

Après la bouchée, alors Satan entra en lui.

「Après」は前置詞で「~のあとで」。ここでは「~に続いて」という感じです。

(2011/12/18 訂正:最初、想像で「口を開けて飲み込むついでに、『サタン』も飲み込んだのでしょう。」と書きました。フランス語の「bouchée」は単に a)「一口分の食べ物」という意味もありますが、b)「一口食べること」という意味もあるので、てっきり渡されたパン切れを食べた(飲み込んだ)のかと想像しておりましたが、各種の日本語訳聖書をよく見ると、ユダはパン切れを「受け取った」だけで、「食べた」とは訳していません。とすると、パン切れを受け取ったついでに、「サタン」も受け取り、サタンが体内に入り込んだということになると思われます。

「alors」は「そのとき、そこで」。
「Satan」は「サタン」(悪魔の首領)。
「entra」は規則動詞で自動詞 entrer (入る)の単純過去(3人称単数)。
「en」は前置詞で「~の中に」。
「lui」は人称代名詞で、前置詞の後ろなので強勢形です。ユダを指します。

前の文までは歴史的現在が使われてきましたが、ここで突如、単純過去に変わります。「単純過去」は「現在の状態とは関係のない、一回きりの過去」で、単純過去を使うと、「ある特定の日時に起きた、取り消せない客観的事実」という印象を与えます
単純過去を使うことで、サタンが入り込んだということが、もはや後戻りできない事実として、強く印象づけられます。

【フランス語からの逐語訳】
一口(一口分のパン)に続いて、その時、サタンが彼の中に入った。
【新共同訳】
ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。
【フランシスコ会訳】
ユダがそのパン切れを受け取ると、その時、サタンはユダの中に入った。
【文語訳】
ユダ一撮(ひとつまみ)の食物(くいもの)を受くるや、悪魔かれに入りたり。

Jésus lui dit donc : « Ce que tu fais, fais-le vite. »

「lui (彼に)」は「ユダに」です。
「donc」は「それゆえ、そこで」。前の文とのつながりを示す言葉ですが、動詞の直後に埋め込まれています
「dit」は他動詞 dire (言う)の単純過去(3人称単数)。
dire は単数形は現在形とまったく同じ形になりますが、この前後の文が単純過去で書かれているので、単純過去と取ります。

ギユメの中は、「Ce」の後ろの「que」が関係代名詞なので、先行詞になると、「...なもの」「...なこと」という意味になります
「fais」は他動詞 faire (する)の現在(2人称単数)。その直接目的が、前に出た先行詞「Ce」です。このように、先行詞が関係詞節内の動詞の意味上の直接目的になっているので関係代名詞「que」を使用しています。なお、「Ce que」とあったら、英語の what と同じです(ただし、「que」が関係代名詞の場合)。
「Ce que tu fais」は逐語訳すると「君がすること」となります。
この部分だけが、文頭に切り離されて置かれています。つまり文頭に遊離しています。

コンマの後ろの「fais」は、直前の「fais」(faire (する)の現在形の 2 人称単数)とまったく同じ形ですが、ハイフンの後ろに代名詞がついているので、これは tu に対する命令形 (「~しろ、~しなさい」)です。

ハイフンの後ろの「le」は、文頭に遊離した「Ce que tu fais (君がすること)」全体を受けているので、「そのことを」という意味の中性代名詞の le です。
遊離構文を使わないで言い換えると、次のようになります。

  Fais vite ce que tu fais. (君がすることを早くしなさい)

「vite」は副詞で「早く」。

【フランス語からの逐語訳】
そこでイエスは彼に言った、「君がすること、そのことを早くしなさい」。
【フランシスコ会訳】
そこで、イエスはユダに仰せになった、「しようとしていることを、今すぐしなさい」。
【新共同訳】
そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。
【文語訳】
イエス彼に言ひたまふ「なんぢが為(な)すことを速(すみや)かに為せ」

Mais cela, aucun parmi les convives ne comprit pourquoi il le lui disait.

接続詞「Mais (しかし)」の後ろの「cela」は、「漠然と前の文脈全体を指す cela」で、「そのこと」という意味です。
「aucun」はもともと形容詞で、aucun ~ ne... で「いかなる~も ... ない」という意味ですが、ここでは直後に名詞がないので、代名詞で「誰も(...ない)」という意味です(辞書に載っています)。この「aucun」は「personne」で言い換えることができます。

「parmi」は前置詞で「~の中で、~の中の」。3 つ以上のものについて使われます(英語の among に相当)。
「convive」は「会食者」(一緒に食事をしている人)。

「comprit」は prendre (つかむ)の単純過去(3人称単数)である prit に接頭語 com がついた形。つまり、元の形は comprendre (他動詞で「理解する」)です。
もともと comprendre という動詞は、接頭語 com (「一緒」)と prendre (つかむ)がくっついた形なので、いわば(少々苦し紛れですが)「一緒につかむ」ことから「理解する」という意味になったと言うこともできます。

コンマの後ろを文の要素に分けると、「aucun」が主語(S)、「comprit」が動詞(V)、「pourquoi il le lui disait」全体が直接目的(OD)で、第 3 文型になっています。

「pourquoi」は「なぜ」。疑問詞(疑問副詞)です。これが文頭ではなく文中にあるということは、間接疑問になっていることを意味します。
「il」は前の文の主語「Jésus (イエス)」を指します。

「le」は文頭に遊離した「cela (そのこと)」を指しています(遊離構文です)。
もともと「cela」自体が「漠然と前の文脈全体を指す」言葉なので、それを指す「le」も「そのことを」という意味の文脈全体を指す中性代名詞の le だといえます。

「lui (彼に)」は「ユダに」。
「disait」はdire (言う)の半過去(3人称単数)。
これが半過去なのは、時制の一致過去における現在)による結果です。前述のように「pourquoi」の後ろが間接疑問になっており、間接疑問は間接話法の一種なので時制の一致をしています。

この文全体を遊離構文を使わないで言い換えると、次のようになります。

  Mais, aucun parmi les convives ne comprit pourquoi il lui disait cela.

【フランス語からの逐語訳】
しかしそのこと、そのことを会食者のうちの誰も、なぜ彼(イエス)が彼(ユダ)に言ったのか理解しなかった。
【フランシスコ会訳】
食事の座に着いていた者は、誰もイエスが何のためにユダにそう仰せになったのか、分からなかった。
【新共同訳】
座に着いていた者はだれも、なぜユダにこう言われたのか分からなかった。
【文語訳】
席に著(つ)きいたる者は一人として何故(なにゆえ)かく言い給うかを知らず。

Comme Judas tenait la bourse, certains pensaient que Jésus voulait lui dire : « Achète ce dont nous avons besoin pour la fête », ou qu'il donnât quelque chose aux pauvres.

 Comme Judas tenait la bourse,

「Comme」は接続詞で「...ので」。parce que (英語の because に相当)ほど明確に原因・理由の関係を作る言葉ではなく、もう少し軽い言葉です(英語の as に相当)。
「tenait」は他動詞 tenir (持つ、つかむ)の半過去(3人称単数)。過去の情景描写・状況説明なので半過去になっています(「持っていた、つかんでいた」)。
「bourse」は女性名詞で「財布」。
ここまでで「ユダは財布を持っていたので」となります。

 certains pensaient que Jésus voulait lui dire :

「certain」は、一番よく使われるのは形容詞で「いくつかの」「確かな」という意味です(英語にも同じ綴りで入っています)。しかし、ここでは不定代名詞で「ある人々」という意味。これが主語になっています。
「pensaient」は他動詞 penser (考える)の半過去(3人称複数)。その直接目的は「que」以下です。ここも、1 回きりで終わる動作ではなく、過去の状態(色々と考えを思いめぐらしていたという状態)なので、半過去が使われています。

「voulait」は準助動詞 vouloir (~したい)の半過去(3人称単数)。これが半過去なのは、前 2 つとは異なり、penser que... (...と考える)の後ろで時制の一致(過去における現在)が行われているからです。
「lui (彼に)」は「ユダに」。
「dire (言う)」は他動詞で、その直接目的はギユメの中全体です。
「vouloir dire」で「言いたい」または「言おうとしている」。
ここだけ訳すと、「ある人々はイエスが次のように言おうとしているのだと考えていた」。

 « Achète ce dont nous avons besoin pour la fête »

「Achète」は、他動詞 acheter (買う)の( tu に対する)命令形です(現在 2 人称単数 achètes の末尾の s を省いた形と同じ)。acheter は mener と同じ活用をする不規則動詞で、人称によってはアクサングラーヴがつきます。
「ce」は関係代名詞の先行詞になると、「...なこと・もの」という意味になります。

関係代名詞(dont)を使わないで 2 つの文に分けると、次のようになります(手順は「関係代名詞を使った文を 2 つの文に分ける方法」を参照してください)。

  Achète cela. (それを買いなさい)
  Nous avons besoin de cela pour la fête.
    (私達は祭のためにそれを必要としている)

指示代名詞の ce は、2 つの文に分けると cela になります(être の主語になる場合や、先行詞になる場合は ce ですが、それ以外は cela を使うため)
この 2 つめの文の重複しいてる cela という先行詞(となるべき言葉)の前に de がついているから、関係代名詞 dont を使うわけです。

「avons」は他動詞 avoir (持っている)の現在(1人称複数)。
「besoin」は男性名詞で「欲求、必要性」。ここでは

  avoir besoin de ~ (~を必要としている)

という、よく使われる熟語が使われています。逐語訳では「~という欲求を持っている」です。熟語なので無冠詞になっています。
「pour」は前置詞で「~のために」。「fête」は女性名詞で「祭り」。
この部分を訳すと「祭のために私達が必要としているものを買いなさい」となります。

 ... certains pensaient que Jésus voulait lui dire : « Achète ce dont nous avons besoin pour la fête », ou qu'il donnât quelque chose aux pauvres.

「certains」以下からもう一度抜き出してみました。これは、ギユメの次の「ou (または)」の後ろが、前とどうつながっているかを考えてみる必要があるからです。

まず単語の意味を見ておくと、「donnât」は他動詞 donner (与える)の接続法半過去(3人称単数)。「quelque chose」は不定代名詞で「何か」〔英語 something 〕。「aux」は à と les の縮約形
「pauvres」から複数の s を省いた pauvre は、もともと形容詞で「貧しい」ですが、ここでは冠詞(les)がついているのでわかるように、名詞で「貧者、貧しい人」の意味。
donner A à B (AをBに与える)の A が「quelque chose (何か)」、B が「les pauvres (貧しい人々)」に相当します。

さて、「ou (または)」という接続詞は、基本的には「A ou B (A または B)」という使い方をして、A と B は並列になります。

この部分は、力のある人なら、ざっと読んで大体の意味は取れるかもしれませんが、それでは何と何が並列か(つまり A と B に相当するものは何か)と改めて問われると、ちょっと戸惑ってしまうかもしれません。
なぜかというと、普通は ou の後ろに que があったら、ou の前にも que があり、2 つの que が並列になっているはずだからです。

たしかに、ここにも「pensaient que」の que がありますが、この 2 つ(つまり「que Jésus voulait...」以下と「qu'il donnât...」以下)が並列だとすると、2 つめは「certains pensaient qu'il donnât...」という風につながることになりますが、そうすると「pensaient que... (...と考えていた)」の後ろが接続法になっていることの説明がつきません。
「pensaient que (...と考えていた)」の後ろは時制の一致をしますが、過去における現在なら直説法半過去になるはずで、接続法にはなりません。

この「donnât」が接続法になりうる要素を考えてみると、ひとつ候補となるのは、「voulait (~したかった)」です。たしかに vouloir que... (...であることを望む)という表現は「...」の部分が接続法になります。そのように取ることも、文法的には可能です。

しかし内容的に考えると、ここでは何人かの弟子達が、イエスが「何を言おうとしていたのか」を思いめぐらしていたわけです。イエスの意図の一つの可能性として、ギユメの中全体があり、もう一つの可能性として「qu'il donnât...」以下があると取ったほうが自然です。

実は、dire que... (...と言う)の que の後ろは、普通は直説法になりますが、接続法になる場合もあります。
『ロワイヤル仏和中辞典』で dire を引くと、次のような例文が載っています。

  Va lui dire qu'il m'attende. (彼〔女〕に私を待つように言ってきてくれ)

「Va」は aller (行く)の(tu に対する)命令形aller + inf. で「~しに行く」
「lui」は「彼に」または「彼女に」。「attende」は自動詞 attendre (待つ)の接続法現在(3人称単数)。
この例文では、「待つように」という部分が一種の「命令」になっています。このように、que の後ろが意味的に「命令」の場合は、dire que... (...と言う)の後ろは接続法になります。
文法的にいうと、これは願望・要求・命令、禁止・否定、疑惑・恐れ・感情などを意味する特定の動詞の場合は、que の後ろの動詞が接続法になるからです。

結論としては、ギユメの中全体と「qu'il donnât... pauvres」とが並列になっています。

【フランス語からの逐語訳】
ユダは財布を持っていたので、ある人々は「祭のために私達が必要としているものを買いなさい」と、あるいは彼(ユダ)が貧しい人々に何かを与えるようにと、イエスが彼(ユダ)に言おうとしているのだと思っていた。
【新共同訳】
ある者は、ユダが金入れを預かっていたので、「祭りに必要な物を買いなさい」とか、貧しい人に何か施すようにと、イエスが言われたのだと思っていた。

Aussitôt la bouchée prise, il sortit ; c'était la nuit.

まず先に単語の意味だけを見ておくと、「Aussitôt」は副詞で「すぐに」。
「bouchée」は女性名詞で「一口」ないし「一口分のパン」。
「prise」は他動詞 prendre (取る、手に取る)の過去分詞 pris女性単数を示す e がついた形。
「il (彼)」はもちろんユダを指します。
「sortit」は自動詞 sortir (外に出る)の単純過去(3人称単数)。
ce は、漠然と「これ」「それ」という意味
「était」は être (~である)の半過去(3人称単数)。
「nuit」は女性名詞で「夜」。

この文はセミコロン(ポワンヴィルギュル)を境に大きく 2 つの文に分かれています。

1 つめの文は、副詞「Aussitôt (すぐに)」を省き、次のようにしても文は成り立ちます。

  La bouchée prise, il sortit.

結論からいうと、これは絶対分詞構文です。分詞構文には色々な意味があるので、意味を狭める(限定する)ために「Aussitôt (すぐに)」という言葉を付け足しているわけです。
この「Aussitôt (すぐに)」を省いた上の文を、分詞構文を使わないで 2 つの文に分けると、次のようになります。

  La bouchée fut prise. (その一口は受け取られた)
  Il sortit. (彼は外に出た)

「fut」は助動詞 être (~である)の単純過去(3人称単数)。être + p.p. で受動態なので、ここは受動態の単純過去です。être + p.p. の場合は主語に性数を一致させるので、女性名詞「bouchée」に合わせて過去分詞 pris に e がついています。

ちなみに、接続詞を使って 2 つの文を 1 つにつなげるのであれば、例えば時を表す接続詞 quand (英語の when に相当)を使うと、次のようになります。

  Quand la bouchée fut prise, il sortit.
    (その一口が受け取られると、彼は外に出た)

あるいは、aussitôt que... (...するとすぐに)を使うと次のようになります。

  Aussitôt que la bouchée fut prise, il sortit.
    (その一口が受け取られるとすぐに、彼は外に出た)

こうすると、元の原文とまったく同じ意味になります。
ただ、元の原文のほうが言葉数が少なく切り詰められているので、格調高い文になります(接続詞を使って言葉数を増やしたほうが耳で聞いてわかりやすくなり、会話調になります)。

なお、prendre には「取る、手に取る」(つまり「受け取る」)という意味のほかに、「食べる、飲む」という意味もあり、フランス語では prendre la bouchée で「その一口を食べる」という意味にもなりますが、ここでは各種の日本語訳聖書の訳を参考に、「その一口分のパンを受け取る」という意味に取っておきます。

【フランス語からの逐語訳】
その一口が受け取られるとすぐに、彼(ユダ)は外に出た。夜であった。
【新共同訳】
ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。
【フランシスコ会訳】
ユダはそのパン切れを受け取ると、すぐに出て行った。夜であった。
【文語訳】
ユダ一撮(ひとつまみ)の食物(くいもの)を受くるや、直ちに出づ、時は夜なりき。












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