「北鎌フランス語講座 - 文法編」と連動し、短い例文を使って徹底的に文法を説明し、構文把握力・読解力の向上を目指します。

フランス語聖書名言集

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フランス語訳の旧約・新約聖書から有名な言葉を集め、文法を解説します。
このページでは古くから親しまれてきた Sacy 訳聖書を多く使用する予定。


Il n'est pas bon que l'homme soit seul...

『創世記』 第 2 章 18 節 (Sacy 訳

Le Seigneur Dieu dit aussi : Il n'est pas bon que l'homme soit seul ; faisons-lui une aide semblable à lui.

【新共同訳】
主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
【フランシスコ会訳】
また神である主は仰せになった、「人がひとりでいるのはよくない。彼にふさわしい助け手を造ろう」。

 Le Seigneur Dieu dit aussi :

「Seigneur」は「(封建時代の)領主」などの意味もありますが、キリスト教関係では「主(しゅ)」。ここでは「Dieu (神)」と同格です。
「dit」は他動詞 dire (言う)の単純過去(3人称単数)
dire の直説法現在と単純過去は、単数形(je dis, tu dis, il dit)が完全に同じ形になるため、どちらの時制なのかは、文脈で判断するしかありません。ここは前後が単純過去で書かれているので、単純過去です。
他動詞 dire の直接目的(OD)は、コロンの後ろのせりふ全体(Il n'est pas... 文末まで)です。
「aussi」は「また」。

 Il n'est pas bon que l'homme soit seul ;

「Il」は「彼」ではなく、非人称の Il で、que 以下を指す仮主語の il です。
辞書で bon を引くと、熟語欄または例文に、次のような表現が載っているはずです。

  Il est bon que + subj. (...するのは良いことだ)

subj. は接続法という意味です。なぜ接続法になるかというと、「Il est ~ que... の構文で、「~」の部分に話者の判断を示す形容詞がくる場合」は接続法になるからです。ここでは「bon (良い)」という形容詞が来ていて、que 以下のことに対して「良いことだ」と判断を下しているわけです。

 faisons-lui une aide semblable à lui.

「faisons」は faire (する、作る)の現在(1人称複数)の形と同じですが、ここでは主語 nous がないので、nous に対する命令形です。
その後ろの「lui」は間接目的で「彼に(彼のために)」。命令形の後ろなので、ハイフンの後ろについています。
「aide」は女性名詞で「助け、援助」という抽象的な意味のほかに、人を指して「助けとなる人、助手・ヘルパー」などの意味もあります。
形容詞「semblable (似た)」は前置詞 à と一緒に使い、

  semblable à ~ (~に似た)

となります。
その後ろの「lui」は前置詞の後ろなので強勢形で、「彼」です。
「faisons-lui une aide semblable à lui.」は逐語訳すると「彼に似た助けとなる人を彼(のため)に作ろう」となります。

L'homme ne vit pas seulement de pain...

『申命記』第 8 章 3 節、『マタイによる福音書』第 4 章 4 節 (Sacy 訳

L'homme ne vit pas seulement de pain, mais de toute parole qui sort de la bouche de Dieu.

【新共同訳】
人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる(申命記) / 人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる(マタイ)
【文語訳】
人はパン而已(のみ)にて生(いく)る者にあらず人はヱホバの口より出(いづ)る言(ことば)によりて生(いく)る者なり(申命記) / 人の生くるはパンのみに由(よ)るにあらず、神の口より出づる凡(すべ)ての言(ことば)に由(よ)る(マタイ)

 L'homme ne vit pas seulement de pain,

「homme」は男性名詞で「男、人」。否定の ne... pas に挟まれた「vit」は自動詞 vivre (生きる)の現在(3人称単数)。自動詞ですが、前置詞 de と組み合わさると、「~で生きる、~を糧(かて)として生きる」という意味になります。これは、前置詞 de に「手段」の意味があるためです。
ちなみに、反対語の自動詞 mourir (死ぬ)も前置詞 de (この場合は「原因」の意味)と組み合わさって、「~で死ぬ」という意味になります。

  vivre de ~ (~で生きる)
  mourir de ~ (~で死ぬ)

どちらも、de の後ろの名詞は基本的に無冠詞になります。
「pain」は男性名詞で「パン」。これは本来なら部分冠詞がつくべきところですが、前置詞 de の後ろなので部分冠詞が取れていると説明することもできます。
「seulement」は副詞で「だけ、のみ」〔英語 only 〕。否定の ne... pas と組み合わさると、「...だけではない」という、一種の部分否定になります。

 mais de toute parole qui sort de la bouche de Dieu.

接続詞「mais」は普通は「しかし」という意味ですが、否定文のあとでは「そうではなく」という意味になります。
その後ろの「de」は「de pain」の de と並列になっています。言葉を補うなら、

  mais l'homme vit de toute parole...
    (そうではなく、人間はあらゆる言葉によって生きる)

となります。
「toute」は形容詞 tout (すべての、あらゆる)の女性単数形単数で無冠詞なので「あらゆる」という意味。複数のものを取り上げて全体として「すべて」と言っているのではなく、一つ一つを取り上げて、その「どれもが」という感じなので、単数形を使っています。

「parole」は女性名詞で「(口で発せられた)言葉」。
「qui」は関係代名詞で、「toute parole」が先行詞になります。
「sort」は自動詞 sortir (外に出る)の現在(3人称単数)。sortir は partir と同じ活用をする動詞です。よく前置詞 de と組み合わせ、
  sortir de ~ (~から外に出る)
という使い方をします。
「bouche」は女性名詞で「口」。
「Dieu」は男性名詞で「神」。大文字で書きます。
「qui sort de la bouche de Dieu (神の口から出る)」が「toute parole (あらゆる言葉)」に掛かっています。

...quand même je marcherais au milieu de l'ombre de la mort...

『詩篇』(Psaume)第 23 (22) 章 4 節 (Sacy 訳

Car quand même je marcherais au milieu de l'ombre de la mort, je ne craindrai aucuns maux, parce que vous êtes avec moi.

【フランス語からの逐語訳】
たとえ私が死の陰の谷を歩く時でさえ、私はいかなる災いも恐れません。なぜなら、あなたが私とともにいるからです。
【文語訳】
たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも禍害(わざはひ)をおそれじ なんぢ我とともに在(いま)せばなり
【新共同訳】
死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。/あなたがわたしと共にいてくださる。
【フランシスコ会訳】
わたしは死の影の谷を歩む時でさえ、/災いを恐れない、/あなたがともにおられるから。

 Car quand même je marcherais au milieu de l'ombre de la mort,

「Car」は軽い理由を表す接続詞で、「というのも、」「だって、」という意味。
ほとんど訳さなくてもいいくらいです。

「quand même」は、大きく分けて 2 つの意味があります。

  1. 「それでも」、「やはり」、「まったく」。
  会話でよく使われます。
  (多くの辞書では、quand を引くと熟語欄に記載されています)

  2. 「たとえ ...でも」。
  接続詞句です。後ろは条件法になります。
  (多くの辞書では、même を引くと熟語欄に記載されています)

ここでは、2 の意味です。なぜなら、後ろに出てくる「marcherais」は自動詞 marcher (歩く)の条件法現在(1人称単数)だからです。
marcher は第 1 群規則動詞なので、donner の条件法現在と同じ語尾になります。

この même は、もともと 3 種類の même のうちの「強調」(「~さえ」。英語の even に相当)です。つまり、「...な時でさえ」というのが元の意味です。
後ろが条件法になるのは、これが極端なケースを想定した表現であり、ほとんど「非現実の仮定」に等しいからです。

似た表現に、même si (たとえ ...でさえ)〔英語 even if 〕があります。この même も si を強調する役割を果たしています。ただし、même si の後ろは(現在の事実に反する仮定なら)直説法半過去になります。
「quand même je marcherais」の部分を「même si」を使って書き換えると、次のようになります。

  même si je marchais (たとえ私が歩いたとしても)

「marchais」は marcher (歩く)の直説法半過去(1人称単数)です。
なぜ même si の後ろは直説法半過去になるかというと、si の後ろの「直説法半過去」は、実質的には「条件法現在」を意味するからです。quand の後ろだと、条件法を使う必要があります。

「milieu」は男性名詞で「真ん中」という意味ですが、辞書で milieu を引けば熟語欄に記載されているように、「au milieu de ~ (~の真ん中で)」という前置詞句です。
「ombre」は女性名詞で「影、陰」。
「mort」は女性名詞で「死」。

 je ne craindrai aucuns maux,

「craindrai」は他動詞 craindre (恐れる)の直説法単純未来(1人称単数)。craindre は不規則動詞で、venir の直説法単純未来と似たような活用をします。

「quand même」を使って表現されることは、一種の「非現実の仮定」になるので、普通は主節は条件法現在になります。辞書の「quand même」の例文を見てください。主節は条件法現在になっているはずです。
しかし、ここで条件法現在を使わず、あえて直説法単純未来を使っているのは、「私」の強い「意志」を表しているからです。
この部分のフランス語(あえて単純未来を選択したこと)からは、神に対する絶対的な信頼や、揺るぎない信念のようなものが感じられます。
ここが、この文の要(かなめ)だと言えると思います。

「aucun ~ ne...」は「いかなる~も ... ない」。「ne...」の部分が前にきても構いません
「aucun」は単数形が使われるのが普通ですが、ここは次の名詞が複数形なのに合わせて、複数形になっています。
「maux」は男性名詞 mal (悪、災い)の複数形。いろいろな(複数の種類の)災いがイメージされているので、複数形にしているのでしょう。
ただし、複数形の「aucuns maux」の代わりに、単数形で「aucun mal」と言うほうが普通です。

 parce que vous êtes avec moi.

「parce que」は理由を表す接続詞句で「なぜなら」。
「vous (あなた)」は神に向かって言っています。現代では普通は神に対しては tu で呼び掛けますが、昔の訳では、このように vous が使われています。
「êtes」は être の直説法現在(2人称複数)。「avec」は前置詞で「~と一緒に」。
「moi」は人称代名詞の強勢形前置詞の後ろなので強勢形になっています。

À chaque jour suffit sa peine.

『マタイによる福音書』 第 6 章 34 節 (Sacy 訳

Ne vous inquiétez donc pas du lendemain : demain s'inquiétera de lui-même.
À chaque jour suffit sa peine.

【文語訳】
この故(ゆえ)に明日のことを思い煩うな、明日は明日みずから思い煩わん。一日の苦労は一日にて足れり。
【新共同訳】
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。

 Ne vous inquiétez donc pas du lendemain :

この文は、「Ne... pas」で挟まれて否定文になっています。ただし、ne... pas で挟まれるのは動詞(および主語以外の代名詞)だけなので、この「vous」は主語ではありません。
とすると、主語がないので、命令文ということになります。
つまり、「inquiétez」は他動詞 inquiéter (心配させる)の現在形(2人称複数)と同じ形ですが、ここでは vous に対する命令形と取る必要があります。
ちなみに inquiéter は répéter と同じ活用をする不規則動詞ですが、一部でアクサンの向きが逆になる以外は第 1 群規則動詞と同じ活用をします。
inquiéter (心配させる)を再帰代名詞 se と一緒に使うと、s'inquiéter で「心配する」という自動詞的な意味に変化します。
この文は vous に対する命令なので、再帰代名詞「s'」が「vous」に変化しているわけです。つまり、これは再帰代名詞を使った否定命令文です。
「Ne vous inquiétez pas」で「心配するな」という意味です。

「donc」は副詞(または接続詞)で「それゆえ」。
このように、前の文とのつながりを示す副詞(または接続詞)が文頭ではなく文中に埋め込まれることがよくありますが、もちろん文頭に出して次のように言うことも可能です。

  Donc, ne vous inquiétez pas du lendemain

訳すときは、文中に埋め込まれていても、文頭に持ってきたほうが日本語では自然になる場合が多いでしょう。

「du」は前置詞 de と定冠詞 le の縮約形
s'inquiéter (心配する)は前置詞 de と一緒に使うと、

  s'inquiéter de ~ (~について心配する)

という意味になります。
「lendemain」は男性名詞で「翌日」。

【この部分のフランス語からの逐語訳】
それゆえ、明日(のこと)について心配するな。

 demain s'inquiétera de lui-même.

「demain」は、ここでは男性名詞で「明日」。
「inquiétera」は inquiéter の単純未来(3人称単数)。さきほどと同様、

  s'inquiéter de ~ (~について心配する)

という使い方をしています。
「lui-même」は〔男性名詞を受けて〕「それ自身」。ここでは「明日自身」です。

【この部分のフランス語からの逐語訳】
明日が明日自身について心配するだろう。
(「明日」が擬人化されています。あなたが心配する必要はない、「明日」に勝手に心配させておけ、というような意味の、ちよっと変わった面白い言い方です)

 À chaque jour suffit sa peine.

à の大文字 À は、前の行との行間がなくなってしまう(行間を維持しようとすると小さな大文字になってしまう)ためにアクサン・グラーヴを省略して A と書かれることもあります
「chaque」は形容詞で「各々の」〔英語 each〕。
「jour」は男性名詞で「日」。
「suffit」は後回しにして、「sa」は所有形容詞で「その」〔英語 its〕。ここでは「各々の日の」という意味です。
「peine」は女性名詞で「苦痛、苦労」。

「suffit」は自動詞 suffire (~だけで十分だ)の現在(3人称単数)。この動詞は「物」が主語になるため、ほとんどいつも 3 人称で使います。
ここでは

  A suffit à B. (A だけで B には十分だ)

という使い方をしています。ここでは、A に相当するのが「sa peine (各々の日の苦労)」、B に相当するのが「chaque jour (各々の日)」です。つまり、この文は

  À B suffit A. (B には A だけで十分だ)

というように、倒置になっています。
倒置ではない普通の語順に直すと、次のようになります。

  Sa peine suffit à chaque jour.

文末に来るべき「à chaque jour」の部分が文頭に出たので、それに釣られて倒置になったといえます。

【この部分のフランス語からの逐語訳】
各々の日には、各々の日の苦労だけで十分だ。

【諺への転化】
この最後の À chaque jour suffit sa peine. (一日の苦労は一日にて足れり)は諺になっており、ナポレオンもお気に入りの言葉だったようです。
日本の似た諺としては、「明日のことは明日案じよ」「明日(あした)は明日の風が吹く」などがあります。

Pourquoi voyez-vous une paille dans l'œil de votre frère...

『マタイによる福音書』 第 7 章 3 節 (Sacy 訳

Pourquoi voyez-vous une paille dans l'œil de votre frère, vous qui ne voyez pas une poutre dans votre œil ?

【フランス語からの逐語訳】
なぜあなたは、兄弟の目の中に藁(わら)を見るのだ、あなたの目の中に梁(はり)を見ないあなたが?
【文語訳】
何ゆえ兄弟の目にある塵を見て、おのが目にある梁木(うつはり)を認めぬのか。
【新共同訳】
あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
【フランシスコ会訳】
兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目にある丸太に気づかないのか。

 Pourquoi voyez-vous une paille dans l'œil de votre frère,

「Pourquoi」は疑問の副詞で「なぜ」。
「voyez」は他動詞 voir (見る)の現在(2人称複数)。
この文は疑問文で、主語が代名詞(vous)なので、主語と動詞を倒置にして、ハイフンで結んでいます
「paille」は女性名詞で「藁(わら)、麦藁(わら)」。この箇所は、文語訳では「塵」、新共同訳とフランシスコ会訳では「おが屑」となっていますが、各種フランス語訳聖書ではほとんどすべて「paille (藁)」となっています。
「dans」は前置詞で「~の中に」。
「œil」は男性名詞で「目」。「votre」は所有形容詞で「あなたの」。
「frère」は「兄」または「弟」。

このコンマのところまでで文は完結しているので、通常ならここで疑問符(?)をつけて文を終わりにしてもいいはずです(そうすると「なぜあなたは、兄弟の目の中に藁(わら)を見るのだ?」となります)。
しかし、ここでは文がいったん完結したあとで、まだ「vous qui」以下が続いています。

 vous qui ne voyez pas une poutre dans votre œil

「voyez」はさきほど出てきたのと同じ、他動詞 voir (見る)の現在(2人称複数)。「ne... pas」で否定
「qui」は関係代名詞で、「qui」の前から文末までがカッコに入ります(関係詞節になります)。
「poutre」は女性名詞で「〔建築物の〕梁(はり)」。伝統的な木造建築では、屋根の下に水平に渡す(丸太のような)太い木材を指します。この箇所は、文語訳では「梁木(うつはり)」、新共同訳とフランシスコ会訳では「丸太」となっています。
「vous qui ne voyez pas une poutre dans votre œil」で逐語訳すると「あなたの目の中に梁(はり)を見ないあなた」となります。この部分全体が、コンマの前の主語の「vous」と同格になっています。
ただし、関係代名詞の先行詞になっている「vous」は、文法的には「強勢形」です。

【諺への転化】
この一節は、日本よりもフランスでのほうが有名です。
日本だと聖書をよく読んでいる人しか気に留めませんが、フランスでは、

  voir la (une) paille dans l'œil du (de son) prochain (voisin)
    (自分の隣人の目の中に藁を見る)

で「(自分自身の大きな欠点には気づかないのに)他人の欠点は些細なものでも見逃さない」という意味になり、ほとんど諺のように使われます。
なお、「paille (藁)」の前では定冠詞「la」と不定冠詞「une」のどちらも使われます。また、「prochain」と「voisin」はともに「隣人」という意味の男性名詞で、その前(de の後ろ)では定冠詞も所有形容詞も使われます。

Entrez par la porte étroite...

『マタイによる福音書』 第 7 章 13-14 節 (Sacy 訳

Entrez par la porte étroite ; parce que la porte de la perdition est large, et le chemin qui y mène est spacieux, et il y en a beaucoup qui y entrent.
Que la porte de la vie est petite ! que la voie qui y mène est étroite ! et qu'il y en a peu qui la trouvent !

 Entrez par la porte étroite ;

「Entrez」は第 1 群規則動詞で自動詞の entrer (入る)の現在(2人称複数)と同じ形ですが、「vous」がないので、命令形です。前置詞「par」は「~から」。「porte」は女性名詞で「戸」または「門」。「étroite」は形容詞 étroit (狭い)に女性単数の e がついた形。

【文語訳】 狭き門より入れ、
【新共同訳】 狭い門から入りなさい。

 parce que la porte de la perdition est large, et le chemin qui y mène est spacieux,

「parce que...」は接続詞句で「なぜなら...」〔英語 because...〕。
「perdition」は語源的には perdre (失う)と同じで、「破滅」というような意味ですが、宗教用語でもあり、各種日本語訳聖書では「滅び」と訳されているので、それに従います。
「large」は形容詞で「(幅が)広い」。
「chemin」は男性名詞で「道」。「qui」は関係代名詞で、「mène」は他動詞 mener (導く)の現在(3人称単数)。ただし、他動詞なのに直接目的(OD)がないので、いわゆる「他動詞の絶対的用法」です(これは「すべての道はローマに通ず」という諺でも使われている用法です)。
「y」は中性代名詞で「à + 場所」に置き換わり、「そこへ」「そこに」という意味
「qui y mène」を「y」を使わないで書き換えると、次のようになります。

  qui mène à la perdition (滅びへと導く→滅びに通じる)

この部分がカッコに入って(関係詞節になって)、先行詞「le chemin (道)」にかかっています。
「spacieux」は espace (空間)に通じる形容詞で、「(空間が空いていて)広々とした」という意味です。

【この部分の逐語訳】 なぜなら、滅びの門は広く、そこに通じる道は広々としているからだ
【文語訳】 滅びにいたる門は大きく、その路は広く、
【新共同訳】 滅びに通じる門は広く、その道も広々として、

 et il y en a beaucoup qui y entrent.

接続詞「et (そして)」の後ろは、「il y en a beaucoup qui...」で「...する人々がたくさんいる」という意味
「entrent」は自動詞 entrer (入る)の現在(3人称複数)。
「y」はさきほどと同様、「そこへ」「そこに」という意味です。

【この部分の逐語訳】 そして、そこに入る人々がたくさんいる
【文語訳】 之より入る者おおし。
【新共同訳】 そこから入る者が多い。

 Que la porte de la vie est petite !

この「Que」は、文末に感嘆符がついているのでわかるように、感嘆詞の que で、「何と ...なことか」という意味です。que の後ろの動詞は直説法です(ちなみに、文頭に Que がきて、動詞が接続法になっている場合は他の意味になります)。
「vie」は女性名詞で「人生、生活、生命」。新共同訳などでは「命」と訳されています。

【この部分の逐語訳】何と命の門は小さいことか!
【文語訳】 生命にいたる門は狭く、
【新共同訳】 しかし、命に通じる門はなんと狭く、

 que la voie qui y mène est étroite !

この「que」も感嘆詞の que です。
「voie」は女性名詞で「道」。ここでは、前に出てきた男性名詞「chemin (道)」と同じ意味で、わざと違う単語を使っているだけです。「qui y mène (そこに通じる)」は、さきほど出てきました。形容詞 étroit (狭い)の女性形「étroite」も、さきほど出てきました。

【この部分の逐語訳】 何とそこに通じる道が狭いことか!
【文語訳】 その路は細く、
【新共同訳】 その道も細いことか。

 et qu'il y en a peu qui la trouvent !

この「qu'」も感嘆詞の que です。
「il y en a peu qui...」は「...する人々はほとんどいない」という意味
「trouvent」は第 1 群規則動詞で他動詞の trouver (見つける)の現在(3人称複数)と同じ形ですが、ここでは接続法現在(3人称複数)です。

【この部分の逐語訳】 そして何とそれを見つける人々がほとんどいないことか!
(→そしてそれを見つける人々が何と少ないことか!)
【文語訳】 之を見出すもの少なし。
【新共同訳】 それを見いだす者は少ない。

...qu'il renonce à soi-même, qu'il porte sa croix...

『マルコによる福音書』 第 8 章 34 節 (Sacy 訳
    (『ルカによる福音書』 第 9 章 23 節もほぼ同文)

Si quelqu'un veut venir après moi, qu'il renonce à soi-même, qu'il porte sa croix, et qu'il me suive.

 Si quelqu'un veut venir après moi,

「Si (もし)」から最初のコンマまでが従属節です。
「quelqu'un」は「誰か」〔英語 someone〕。「veut」は vouloir (~したい)の現在(3人称単数)。「venir」は自動詞で「来る」。「après」は前置詞で「~のあとで、~のあとに」。「moi」は前置詞の後ろなので強勢形になっています。

この部分を逐語訳すると、「もし誰かが私のあとに来たいなら」となります。

 qu'il renonce à soi-même,

「que + 接続法」による独立節が 3 つ並列になっています。ただし、そのうちの最初の 2 つの動詞(renonce と porte)は第 1 群動詞なので直説法現在とまったく同じ形で、3 つ目の「suive」だけが(不規則動詞なので)直説法現在とは異なる形になっています。

1 つ目の que の後ろの「renonce」は renoncer (放棄する)の直説法現在(3人称単数)とまったく同じ形ですが、内容的に接続法現在(3人称単数)だとわかります。なぜなら、「qu'il renonce à soi-même」はどこにもかからずに独立しており、「que + 接続法」による独立節になっているからです。ここでは、意味的に、祈願・願望というよりも「3 人称に対する命令」です。
「qu'il」の「il」は「quelqu'un (誰か)」を指します(以下、全部で 3 回出てくる「il」はみな同じ)。
renoncer は前置詞 à とセットで使う間接他動詞で、

  renoncer à ~ 「~を放棄する」

という使い方をします。
「soi-même」は「自分自身」。再帰代名詞 se の強勢形である soi と、「~そのもの」という意味のmême がくっついでできた言葉です。

この部分を逐語訳すると、「彼が自分自身を放棄するように!」または「彼は自分自身を放棄しなさい」となります。

 qu'il porte sa croix,

2 つ目の que の後ろの「porte」も、他動詞 porter (運ぶ、担う)の直説法現在(3人称単数)とまったく同じ形ですが、やはり接続法現在(3人称単数)。「croix」は女性名詞で「十字架」。

この部分を逐語訳すると、「彼が彼の十字架を担うように!」または「彼は彼の十字架を担いなさい」となります。

 et qu'il me suive.

3 つ目の que の後ろの「suive」は、他動詞 suivre (後についていく、従う〔英語 follow 〕の接続法現在(3人称単数)。suivre の直説法現在 3人称単数は「suit」なので、これは形の上からもはっきりと接続法だとわかります。

この部分を逐語訳すると、「彼が私の後についてくるように!」または「彼は私の後についてきなさい」となります。

【文語訳】
人もし我に従ひ来らんと思はば、己(おのれ)をすて、己(おの)が十字架を負ひて我に従へ。
【新共同訳】
わたしの後(あと)に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

【参考】
「イエスは二つの条件をつける。第一は、自分を捨てること、第二は、自分の十字架を負うことである。この自己否定と苦難を自分の身に引き受けることは、彼に従う者の道をいっそう狭く、けわしくする」(佐伯晴郎『新版 聖書の名言』創元社)

【派生した表現】
この聖書の言葉から、次のようなフランス語の表現が生まれました。

  Chacun porte sa croix. (各人が十字架を負っている)
  Chacun porte sa croix en ce monde. (この世では各人が十字架を負っている)

これは「(この世では)誰もが悩みの種を抱えながら生きている」というような意味で使われます(もとのイエスが言おうとした意味からは逸脱しているかもしれません)。

Au commencement était le Verbe.

『ヨハネによる福音書』の冒頭 (Sacy 訳Jérusalem 訳

【文語訳】
「太初(はじめ)に言(ことば)あり」 (初めに言葉ありき)

【単語の意味】
Au は前置詞 à と定冠詞 le の縮約形。前置詞 à は英語の in と at に相当しますが、ここでは時間を表して「~に」。
「commencement」は男性名詞で「初め、最初」。ギリシア語の聖書では「アルケーィ」となっており、これはフランス語の archéologie (考古学、発音:アルケオロジー)や archives (古文書、発音:アルシーヴ)の語源となっているように、フランス語では「古い、古代」というイメージが強い言葉です。
「était」は être 〔英語 be 〕の直説法半過去(3人称単数)。

「Verbe」は男性名詞で、普通は「動詞」という意味ですが、文章語およびキリスト教の文脈では「言葉」の意味で使われます。ギリシア語の聖書では「ロゴス」となっており、これはフランス語の logique (論理)や -logie (~学)の語源となっているように、単に「言葉」というよりも、論理体系や学問全般につながる言葉です。

【文法】
「être」はここでは「~である」という意味の第 2 文型をとる動詞ではなく、「ある、存在する」という意味の第 1 文型をとる動詞として使っています。つまり、自動詞 exister (存在する)と同じ意味で使っています。

文の要素に分けると、「était」が動詞(V)、「le Verbe」が主語(S)で、倒置になっています。「Au commencement」は状況補語です。
通常は文末に来るべき状況補語が文頭に来たので、それに釣られるようにして動詞も前に来て倒置になったといえるでしょう。
つまり通常の語順だと、次のようになります。

   Le Verbe était au commencement.

倒置にして名詞で終わるようにしたほうが、比較にならないほど引き締まった文になることが理解できると思います。

Dieu a tellement aimé le monde...

『ヨハネによる福音書』第 3 章 16 節 (Sacy 訳

Car Dieu a tellement aimé le monde, qu'il a donné son Fils unique ; afin que tout homme qui croit en lui ne périsse point, mais qu'il ait la vie éternelle.

この文は、大きく見ると、ポワンヴィルギュル( ; )を挟んで、その前までが主節、それ以降が従属節となっています。ここは通常ならコンマにすべきところですが、いったんここで意味的に大きく区切りたい(ただしピリオドにすると完全に 2 つの文に分かれてしまう)ので、ピリオドとコンマの中間ぐらいの切れ具合を示すポワンヴィルギュルを使っているのだと思われます。

 Car Dieu a tellement aimé le monde, qu'il a donné son Fils unique ;

この主節の部分は、大きく見ると「呼応の表現」の「tellement... que... (とても... ので...)」が使われています。
この「qu'」の直前にコンマがありますが、このコンマは打たないほうが普通です。一般にフランス語ではコンマの有無は厳密なものではなく、個人差がありますので、気にする必要はありません。

最初から細かく見ていくと、「Car...」は軽い理由を付け加えるときに使う接続詞で、「というのも(...だからだ)」という感じです。前文を受け、「Car」以下でその理由を述べますが、parce que... 〔英語 because〕ほど明快に原因/理由の関係にはならないので、「なぜなら」と訳すと強すぎます。話し言葉だと、「だって...」という感じです。
この箇所は文語訳は「それ」、フランシスコ会訳訳は「実に」となっています。新共同訳はこれに該当する言葉はありませんが、フランス語の car も、訳さなくてもいいくらいの軽い言葉だともいえます。

「Dieu」は「神」で、大文字・無冠詞にします。
「a aimé」は「助動詞 avoir の現在 + 他動詞 aimer (愛する)の過去分詞」なので、合わせて aimer の複合過去です。
このホームページで取り上げているフランス語訳聖書では、基本的に過去に起きた出来事は単純過去で書かれていますが、ここで複合過去にしているのは、英語の現在完了 の「結果」に近いからです。実際、「神は... 愛した。その結果...」という感じでつながっていきます。
「monde」は男性名詞で「世界」。

「a donné」は「助動詞 avoir の現在 + 他動詞 donner (与える)の過去分詞」なので、合わせて donner の複合過去(「与えた」)。
「son (彼の)」は「神の」。
「Fils (息子)」が大文字になっているのは、イエス・キリストを指すからです。
「unique」は形容詞で「たったひとつ〔一人〕の」。

ここまでを逐語訳すると、「というのも、神はとても世界を愛したので、彼は彼のたった一人の息子を与えたのだ。」となります。

ちなみに、日本語訳聖書(下記)では、いずれも後ろから前に掛けて訳しています。例えば新共同訳では、

  「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」

となっていますが、これは、

  「神は、とても世を愛されたので、その独り子をお与えになった」

と言ってもほとんど同じでしょう。フランス語の「tellement... que... (とても... ので...)」は前から訳すのが普通です。

 afin que tout homme qui croit en lui ne périsse point, mais qu'il ait la vie éternelle.

「afin que...」は「...するために」という意味の接続詞句
語源的には à fin que... です。もともと fin は「目的」という意味の女性名詞(ただし熟語なので無冠詞)で、que は同格の接続詞〔英語の that〕なので、「que... という目的で」というのが元の意味です。
「afin que」の後ろは接続法になります。

「tout」は単数・無冠詞なので「あらゆる」という意味です。
「homme」は「人」。「qui」は関係代名詞で「qui croit en lui」の部分がカッコに入ります(関係詞節になります)。
「croit」は croire (信じる)の現在(3人称単数)。
ここでは前置詞 en と一緒に使う間接他動詞として使っており、「~〔の存在〕を信じる」という意味です。例えば次のように使います。

  croire en Dieu (神〔の存在〕を信じる)

ここでは en の後ろが「lui」になっていますが、これは前置詞の後ろなので強勢形で、意味的には「son Fils unique (彼のたった一人の息子)」を指します(文法的には「Dieu」を指すとも取れますが、意味的に無理があります)。

さて、「tout homme qui croit en lui (彼を信じるすべての人)」全体が主語となり、動詞は「périsse」です。「périsse」の不定形は périr です。自動詞で「死ぬ、滅びる」という意味で、perdition (滅び)の動詞の形です。
この périr の接続法現在(3人称単数)が「périsse」。第 2 群規則動詞なので、finir の接続法現在と同様に変化します。
接続法になっているのは、「afin que」の後ろだからです。
「ne... point」は「まったく...ない」

接続詞「mais」は普通は「しかし」ですが、否定の後ろだと「そうではなく」という感じになります。
その後ろの「qu'」は、「afin que」の「que」と並列になっています。あるいは、「qu'」の前に「afin」が省略されているともいえます。

「il」は「tout homme qui croit en lui」を指します。
「ait」は avoir (持つ)の接続法現在(3人称単数)。
「vie」は女性名詞で「命、生命」。「éternelle」は形容詞 éternel (永遠の)の女性単数形。「la vie éternelle」で「永遠の命」となります。

ここまでを逐語訳すると、「彼を信じるすべての人が決して滅びることなく、そうではなく彼が永遠の命を持つために」となります。

【フランス語からの逐語訳】
というのも、神はとても世界を愛したので、彼は彼のたった一人の息子を与えたのだ。彼を信じるすべての人が決して滅びることなく、そうではなく彼が永遠の命を持つために。
【文語訳】
それ神はその独子(ひとりご)を賜ふほどに世を愛し給へり、すべて彼を信ずる者の亡びずして永遠(とこしえ)の生命(いのち)を得んためなり。
【新共同訳】
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
【フランシスコ会訳】
実に、神は独り子をお与えになるほど、この世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を得るためである。

【参考】
キリスト教の教理を凝縮した有名な一節です。
例えば富山鹿島町教会のホームページ(礼拝説教)に解説があります。



聖書に由来する諺(「ことわざ編」)

「ことわざ編」で取り上げた、聖書に由来する諺は以下のとおりです。

Œil pour œil, dent pour dent.
『出エジプト記』第 21 章 23 節、『レビ記』第 24 章 19 節、
『申命記』第 19 章 21 節、『マタイによる福音書』第 5 章 38 節

Goutte à goutte, l'eau creuse la pierre.
『ヨブ記』第 14 章 19 節

Qui sème le vent récolte la tempête.
『ホセア書』第 8 章 7 節

Ne jetez pas vos perles devant les pourceaux.
『マタイによる福音書』第 7 章 6 節

Ne fais pas à autrui ce que tu ne voudrais pas qu'on te fît.
『マタイによる福音書』第 7 章 12 節

Il faut rendre à César ce qui est à César.
『マタイによる福音書』第 22 章 21 節

Nul n'est prophète en son pays.
『ルカによる福音書』第 4 章 24 節

Ce qui est écrit est écrit.
『ヨハネによる福音書』第 19 章 22 節

On récolte ce qu'on a semé.
『ガラテヤの信徒への手紙』第 6 章 7 節








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